武庫川マラソン(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

武庫川マラソン

 1947年に発足した新制中学部の初代部長矢内正一は、生徒の心身の鍛練の一つとして「駆け足」を取り上げ、毎朝始業前に有志生徒とともに上ケ原の約1,700mのコース(このコースは「矢内コース」と呼ばれるようになった)を走ったり、1年生は阪急池田、2年生は石橋、3年生は豊中から、それぞれ学校に向かって走り抜く、といった行事を実施していた。
これら「駆け足」の行事は、交通量の増加などにより58年頃には中止せざるをえなくなったが、数年後には中学部から中央芝生までのコースを2周するランニングが、冬期の「早朝耐寒駆け足」として復活した。

 1968年2月には武庫川河川敷を全校生で走る「武庫川マラソン大会」が開催され、今も続く中学部の伝統行事の一つとなった。
大会は当初河川敷コースの端から端までを往復する15㎞の距離で行われていたが、95年の阪神・淡路大震災後から、河川敷の補修工事などの理由で距離は10㎞となり、2012年男女共学化以降は、男子は10㎞、女子は7㎞(2012年のみ5㎞)の距離で行われている。
なお、中学部での駆け足による心身鍛練の伝統はマラソン大会だけでなく、1977年から始まった「全校駆け足」(週4回全校生が7時間目にグラウンドを走る)という形でも受け継がれている。