大分バンド・大分リバイバル(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

大分バンド・大分リバイバル

 W.R.ランバスを総理とする南メソヂスト監督教会のジャパン・ミッションは、神戸を拠点とした瀬戸内宣教圏構想の下で広域にわたって宣教活動を展開したが、九州では大分がその中心となっていた。
関西学院創立の1889年、ランバスが吉岡美国や幹事中村平三郎らとともに大分で宣教活動を担っていたS.H.ウェンライトの宣教師館における12月31日の除夜会で、聖霊の働きによる信仰復興(リバイバル)を体験している。
このようにランバスも関わり、とりわけウェンライトの働きを中心として大分で形成された群れは、「大分バンド」と呼ばれるものである。
釘宮辰生(後の日本メソヂスト教会監督)、柳原浪夫、柳原正義(浪夫の息子で、後の学院礼拝主事)、久留島武彦(後の児童文学者)らがその代表的な人物としてあげられる。
明治期のキリスト教の形成において、札幌、横浜、熊本の三大バンドの他に、メソヂスト関係では弘前バンド、小石川バンド、静岡バンドなどの存在が着目されているが、草創期の関西学院と深く関係している大分バンドも、その一つに加えられるであろう。

【文献】村上謙介『ウェンライト博士傳』1940;ウィリアム.W.ピンソン著:半田一吉訳『ウォルター・ラッセル・ランバス』2004