山田耕筰(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

山田耕筰

やまだこうさく

1886.6.9~1965.12.29

山田耕筰

山田耕筰

作曲家。
東京市本郷に生まれる。
1902年、姉のガントレット恒子を頼り、岡山の養忠学校に入学し、義兄G.E.L.ガントレットから音楽の手ほどきを受ける。
転校して関西学院普通学部1年に入学。
グリークラブと野球部に加わった。
在学中の16歳秋に “MY TRUE HEART" を初めて作曲した。
04年9月、東京音楽学校予科に入学、同校本科声楽部を卒業して研究科に在籍。
10年3月よりベルリン王立アカデミー高等音楽院(現、ベルリン芸術大学音楽部)作曲科で3年間ドイツ古典音楽の伝統を継ぐ作曲法を学び、13年末帰国。

1920年、日本楽劇協会を設立し、日本における交響楽やオペラの普及運動を展開した。
22年から詩人北原白秋との交遊を深め、日本語の語感を生かした歌曲・童謡(「待ちぼうけ」「からたちの花」「この道」など)の作曲法を確立して国民音楽樹立運動をおこすなど、生涯にわたり日本の音楽界に指導的役割を果たした。
30年12月、耕作から耕筰へ改名。

 山田耕筰に1933年、関西学院校歌「空の翼」(北原白秋作詞)、39年、「緑濃き甲山」(由木康作詞)、「関西学院頌歌」(竹友藻風作詞)、49年、“A Song for Kwansei"(Edmund Blunden作詞)、応援歌「打ち振れ旗を」(竹中郁作詞)を作曲。
なお、関西学院よりも早く1922年大学昇格を記念して制定された関西大学学歌も作曲している。

1936年、フランス政府レジオン・ドヌール勲章受章、42年、芸術院会員となり、56年、文化勲章受章。

【参照】Ⅰ 180,530,538【文献】『自伝若き日の狂詩曲』1951;『若き日の思い出』1955;「関西学院の歌」(1-2)(『関西学院キリスト教教育史資料』Ⅳ,Ⅶ)1981, 1987;『山田耕筰作品資料目録』1984