蘆田慶治(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

蘆田慶治

あしだけいじ

慶応3<1867>.10.23~1936.8.17

蘆田慶治

蘆田慶治

神学部教授、同志社大学教授、神学者。
丹波氷上郡に生まれる。
1888年に大阪における南美以教会第1号受洗者としてJ.W.ランバスから受洗。
翌年、関西学院神学部に入学、病気のため97年に卒業。
98年からアメリカのヴァンダビルト大学およびイェール大学に留学、M.A.を得て1902年に卒業。
帰国して母校の神学部で組織神学、哲学などを教える。
神学部では吉岡美国に次ぐ日本人教授。
09年、同志社神学校に転じ、組織神学者として名をなした。
同志社に転じた理由の一つとして、アメリカ北部の自由主義神学を学んだ蘆田の立場は、アメリカ南部の保守的神学の伝統を受け継いできた初期の関西学院神学部、特に神学部を代表する恩師J.C.C.ニュートンには受け入れられなかったことがあげられる。
いわゆる高等批評によって解釈する新神学の自由主義的立場を標榜する当時の同志社神学校からの招きは、蘆田にとって魅力的であった。
その後、理想主義的な自由主義の立場をとったが、60歳半ばにバルト神学に転じ、32年にバルトの『ロマ書』、翌年には若い学徒たちとともに同じくバルトの『神の言の神学』の翻訳に着手し、前者は出版に至らなかったが、後者は41年に刊行された。
著書に『羅馬書講義解』(1908)がある。

【参照】Ⅰ 153【文献】中村金次編『南美宣教五十年史』1936