関西学院を創ったひとたち:ランバス, W.R.

[ 編集者:吉岡記念館       2018年5月24日 更新  ]

瀬戸内伝道圏構想

瀬戸内伝道圏構想ジオラマ

「瀬戸内伝道圏構想」ジオラマ 製作: 関西学院大学図書館、 監修: 神田健次 神学部教授

日本における宣教師としてのランバスの基本構想は、「瀬戸内伝道圏構想」とも呼べる壮大なスケールをもつものであり、このジオラマは、そのランバスの構想の輪郭を再現した。

1886(明治19)年、米国南メソヂスト監督教会【注1】から派遣された宣教師として、J.W.ランバスとW.R.ランバスの父子が、前任地である中国から日本の神戸にやってきた。当時の神戸が、いかに宣教の拠点として優れた諸条件を備えているかについて、87年に本国の伝道局に書き送った以下の諸条件こそ、ランバスの「瀬戸内伝道圏構想」の基本的な枠組みであると言える。

「(1)神戸は伝道地として我々に開かれた地域の中心である。メソヂスト監督教会は、神戸から200マイル北(東)までと300マイル南(西)まで、つまり関東以北、東海、北西九州を伝道地としている(南メソヂスト監督教会はこれ以後近畿、中国、四国、東九州を伝道地とするようになった)。(2)やがて全線開通する鉄道路線の中心である(新橋・神戸間の東海道線はその2年後、1889年 7月に全線開通した)。(3)日本中で四季を通じて最も健康に適した海港である。(4)交通至便な瀬戸内海を通して主要な地方都市と連絡ができる。(5)神戸は条約港としてアメリカ、イギリス、中国と毎週連絡が取れ、外国人として居住ができ、また日本人に雇われないで伝道の仕事ができる。(6)地形的条件が優れており、大阪、京都という大都会に近く、今後の活動の見通しは明るい。」(『関西学院百年史 通史編1』47-48頁より)

このジオラマでは、関西学院が創立された1889(明治22)年当時の鉄道と1884年(明治17)年当時の瀬戸内航路を再現しているが、【注2】このような交通手段を活用して、南メソヂスト監督教会が、どのような広がりで瀬戸内海沿岸の都市を中心に教会や学校を建設していったかを理解することができるであろう。

ランバス滞在中(1886-90年)に創設された13の教会を赤色の屋根で表示し、ランバス離日後に創設された12の教会を青色の屋根で表示している。

【注1】
 米国南メソヂスト監督教会は以下の三つの時期に歴史的に変遷している。
 1.1886-1907年: 「南メソヂスト監督教会(南美以美または南美以教会)」
 2.1907-1941年: 「日本メソヂスト教会」
(メソヂスト監督教会、カナダ・メソヂスト教会、南メソヂスト監督教会三派の合同による) 
 3.1941年-現在: 「日本基督教団」

【注2】
 ・学校に関しては、現在の位置を表示している。
 ・1889年9月1日、山陽鉄道は姫路まで開通した。
 ・ジオラマの航路は大阪商船(1884年当時)のものである。

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