神学部生の声~過去アーカイブ~

[ 編集者:神学部・神学研究科       2019年4月18日   更新  ]

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キリスト教思想・文化コース生の声

神学部で学ぶ - 3年・ 宮崎 大地

Q1.神学部に入学したきっかけは?
(なぜ神学部に入ろうと思ったか、興味を持ったきっかけなど)
 
小学生のころ読んだ本にドイツの教会が載っており、そこから教会建築について興味を持つようになりました。これが私とキリスト教文化の出会いでした。 高校生の時は神学部の存在を知らず、今とは違う大学の経済学部に進学しましたが、関西学院大学神学部の存在と、そこで教会建築やその根幹をなす神学を包括的に学ぶことができると知り、前の大学を中退し、関西学院大学神学部に入学しました。

Q2.現在神学部で興味を持って学んでいることは?
(おもしろい授業、ゼミでの研究テーマ等でもよい)
 
わたしが今興味を持って学んでいる授業は「人権とキリスト教」と「キリスト教と建築」です。「人権とキリスト教」は 現代社会での宗教の自由の問題、女性に対する差別の問題、死刑の問題についてキリスト教という立場から考察するというもので、クリスチャンではない私にとっても社会を生きる上で考えていくべき問題であると実感しました。「キリスト教と建築」は入学した時から受けようと思っていた授業の一つで、オンラインという形になってしまいましたが、先生の工夫もあって最後まで楽しく受けることができました。また文学部で開講されていた「芸術史(西洋)」と組み合わせることによって、神学部という枠を超えて、より理解を深めることができました。

Q3.将来の夢や目標は何ですか?
(明確な目標でなくても構いません、将来目指しているもの、希望などあれば)
 
 将来の目標は、卒業必要単位を早めに取得し、留学することです。欧州で英語によるコミュニケーション能力を培いながら、シェンゲン協定加盟国の様々なキリスト教建築を自分の目で見て享受したいと思っています。COVID-19流行によって予定していた計画が狂ってしまいましたが、なるべく早く収束することを願いつつ、留学するという目標に向けて専心したいと思います。

Q4.神学部生、神学部入学を目指している受験生に対してメッセージをお願いします。

 神学部生には、目標は常に高くというメッセージを贈りたいと思います。これは自分自身も常に意識していることで、人は下が見えてしまうと堕落してしまうので、下が見えないように上を向いて高みを目指すというのが限られた大学生活を有意義に過ごすことができる秘訣だと思います。  受験生の皆さんにはドイツの詩人ゲーテの言葉を贈りたいと思います。「常によい目標を見失わずに、努力を続ける限り、最後には必ず救われる」。これは私の2回の大学受験で支えとなっていた言葉です。しかし努力というのは自分ひとりだけでは続けることはできないと思います。周りの人たちの支えがあるからこそ努力は継続できると思うので、支えてくれる人たちに感謝しながら受験に向けて頑張って下さい‼(2020年 11月 『神学部報』より抜粋)

神学部で学ぶ - 3年・ 平松 麻那

Q1.神学部に入学したきっかけは?
(なぜ神学部に入ろうと思ったか、興味を持ったきっかけなど)

わたしは牧師家庭で生まれ育ったため、様々な大学の「神学部」の存在は知っていました。スピリチュアリティや人間の生死に関心があったことから、関西学院大学神学部のディアコニア・プログラムにとりわけ興味をひかれました。実際の福祉の現場でスピリチュアリティとキリスト教の奉仕の概念を実践的に学び、考察するディアコニア・プログラムに参加したいと思いました。病院におけるチャプレンの仕事にも興味をもっていたことから、神学部に入ることを決めました。

Q2.現在神学部で興味を持って学んでいることは?
(おもしろい授業、ゼミでの研究テーマ等でもよい)

ゼミでは、実践神学、その中でもとりわけ礼拝学に興味を持ち、「礼拝における癒し」をテーマに研究したいと考えています。特に今はCOVID-19の影響で多くの教会がオンライン礼拝や在宅礼拝に切り替わっています。このような形の礼拝についても研究したいと考えています。また、関西学院聖歌隊に所属していることもあり、キリスト教音楽に関する授業も受講し、楽しく学んでいます。

Q3.将来の夢や目標は何ですか?
(明確な目標でなくても構いません、将来目指しているもの、希望などあれば)

元々、病院のチャプレンになりたいと考えていましたが、学びを進めて行く中で、現在は、教会の牧師になりたいとも考えています。また、大学院で学びを続けることも希望しています。ディアコニア・プログラムや大学院での学びを生かし、牧師の仕事をしながら、地域の問題と向き合うことができればと思っています。

Q4.神学部生、神学部入学を目指している受験生に対してメッセージをお願いします。

今年はCOVID-19の影響で、大学もオンライン授業で始まりました。大学生活を楽しみにしていた新入生の皆さんはとても残念な思いをしていると思いますし、皆さんの入学を楽しみにしていた先生方も先輩方も、このような形になり、残念だろうと思います。また、これから受験しようとする方々も、先の見えない現状に大きな不安を抱えているかもしれません。このような日々の中でも、神学部で勉強してよかったと思える日がいつかきっと来ると信じています。皆さんが神学部でより良い学びができるよう応援しています。(2020年 6月 『神学部報』より抜粋)

神学部で学ぶ - 3年・ 森 翔太

Q1.神学部に入学したきっかけは?  私は、高校時代はサッカーの指導者のアルバイトをしていました。そこで、人前で話すことの難しさ、伝えることの難しさを実感し、人前で上手に話ができるようになりたいと思いました。もともとキリスト教にはなじみがなかったのですが、キリスト教の思想を人々に伝えていく「宣教」は、様々な分野の「指導者」の仕事と重なる部分があると感じ、神学部に興味を持ちました。

Q2.現在神学部で興味を持って学んでいることは?
 私がゼミで取り組んでいるテーマは、宗教と教育です。日本では幼い頃にしばしば「人に迷惑をかけるな」と教わりますが、「迷惑」という単語は仏教から来ています。このように宗教と教育とは知らず知らずのうちに関わり合っています。私はこうした躾や教育とその背景にある宗教的文化の関係に関心を持ち、ゼミで研究することにしました。
Q3.将来の夢や目標は何ですか?
 具体的には決まっていませんが、人前に立つ仕事がしたいと考えています。人前に立って、人の心を動かし、正しい方向へと導くことができる人間になりたいです。

Q4.神学部生、神学部入学を目指している受験生に対してメッセージをお願いします。
 神学部は1学年30人ほどという少人数の学部ですので、高校のクラスメートのように同級生と仲良くなることができます。先輩とも仲良くなることができるので、授業や留学のことなどを相談することができ、頼もしいです。
 
 また私は、「宗教総部千刈リーダーズクラブ」に所属しており、今年はこのクラブの総部長を務め、多くの学びを得ました。クラブでは、関西学院が所有する千刈キャンプ場の学生ボランティアリーダーとして活動し、人間関係を構築することの難しさと格闘し、相手に自分の考えを伝えるためには何が足りないかなどを考える中で大きく成長することができました。このように大学生活では、課外活動を通して、座学だけでは学ぶことのできないものも身に付けることができます。
 
 大学生になると自由が増え、自分で選択できることも多くなり、だからこそ得られるものが多くあると実感します。4年間は長いようで短いです。自分が何を学び、どう成長したいのか、明確な目標を持つことで充実したキャンパスライフが送ることができます。みなさんも頑張って希望する進路に進み、華の大学生活を送りましょう!(2019年 11月 『神学部報』より抜粋)

キリスト教が日本に与えた、世界の思想を見出す - 4年・ 梁 亜由美

宗教を学ぶことで私たちを取り巻く文化的環境が見えてきます。明治以降、日本に到来した西洋文化の中でも大きな影響力を持ったのがキリスト教でした。

キリスト教を学ぶことは近代以降の日本の思想的根拠にさかのぼることと言えます。そのため、神学部での学習は多岐に渡り、各個人の関心に沿った研究が可能となります。
小説や映画など、私たちが普段から親しんでいるものの中にも宗教的、キリスト教的要素を見出すことができ、神学部での学びはそれらの理解を深めることとなります。そして、これら自分の関心事に学問として取り組むとき、私たちの学習はとても長い歴史の中で培われたゆるぎない神学の営みに支えられています。

与えられた知識と向き合い、それを自分の学習と繋げ、高めていくことがその営みに組み込まれている私たちの役目だと思います。(2015年 5月 『神学部報』より抜粋)

神学という名の学びの種 - 4年・木下 智博

私たちは人生の中で、多くの種を蒔きます。これまでも、そしてこれからも、さまざまな経験の中で私という「土」に種を蒔き、育てていきます。残念なことに、必ずしもそれらがすべて、花を咲かせるとは限りません。さらに、私たちは種を蒔くとき、その種が確実に咲くかどうかを知ることもできません。その不確かさは、私たちに不安を抱かせます。

私がこの関西学院大学神学部に入学した時にも、そんな不安を抱いていました。クリスチャンでない私が、神学部で学ぶことの意味とは何だろう、神学なんてできるのだろうか、という不安です。その意味で、神学部で過ごす時間とは、私にとってまぎれもなく、神学という名の学びの種を蒔くことでした。迷いながらも学びを進めるうちに、この神学という種はひょっとすると、他のものより遅咲きで、芽を出すのは、私たちがここを巣立ったずっと後のことなのかもしれない、とも思いました。しかし、芽を出す時期や咲き方は人によって違えども、いつしかきっと、私たちを休ませ、支えてくれるような大樹になるのではないか、一方でそんな予感もしています。

神学部という学び舎は、本当に大切な学びとは何か、ヒントを与えてくれるものであると卒業まで1年を切った今、実感しています。それは、何かこれだけのことをすれば、これだけのものが得られる、というものではありません。むしろ、不確かさの中で歩みを進めること、その不安が、実は私たちという「土」を豊かにしてくれるものであることに気づかされる、そんな学びであるように思えます。

右も左もわからなかった私が、このような学びを知り、楽しむことができるまでに至ったのは、先生方はもちろんのこと、共に学ぶ仲間にも支えられてのことでありました。心から感謝をしたいと思っております。(2010年 6月 『神学部報』より抜粋)

価値観は多種多様。どれも尊重されるべきであり、互いに認め合ことが重要。- 4年・高橋 博厚

私が神学部に入学したとき、私はここでの学びが自分自身にとって何の意味を持った学問なのか分からないという不安がありました。その理由は、私はキリスト教を含めた「宗教」というものに対してあまり良くないイメージを持っていたからです。私は信仰を持つことは、自分の譲れない部分を決定的に作ってしまい、人が本来的に持っている自由な心の視野を狭めてしまうものだと理解していました。

そのような理解を持っていた私にとって神学部で宗教対話に関する学びを多くできたことは大きな意義を持つものでした。それらの授業の中で何度も先生方が相互理解のために必要だと言っていたことは、自分の持っている絶対的価値観を一度相対的に見てみようと試みることです。相対的にものを見るために前提となるのは、自分側のことだけでなく相手側を正しく学び、積極的に交わりを持ち、理解しようと努めることです。相手を知らない無知による決めつけるような偏見は、しばしば間違えていているもので、問題を引き起こす最大の原因であるからです。そして相対的にものを見てみようという試みは、自分の心の視野を広くしてみることです。

私は信仰を持つことは心の視野を狭めてしまうものととらえていましたが、信仰を持つ人たちによる心の視野を最大限に広げようとする相互理解に努める姿勢というものを学んでいく中で、価値観は多種多様に存在していて、それはどれも尊重されるべきであり、互いに認め合うということに重要性があることが見えてきました。そして私自身が持っていた、信仰は自分の価値を狭めてしまうものであるという理解こそが、自分の価値観を絶対視して自分の視野を狭くしてしまったものだと気づかされました。

偏見を捨て、理解のために他者と積極的に交わりを持とうと努めようとする姿勢は、私が神学部という場所で学んで得られた貴重な財産であると思います。私が物事を考える際にこの考え方が生きていることは、私が他者との交わりをする中で心の視野を広げてくれて、様々な価値観を与えてもらえるのです。(2009年 6月 『神学部報』より抜粋)