2015.07.09.
教員リレーエッセイ:絵画との語らい/David Wider 教授

絵画との語らい

仕事として、私はテキストの釈義や解釈に取り組んでいますが、そこには、かなりはっきりしたルールがあります。しかし、日常生活においては、テキストよりも重要なのは、イメージや絵です。イメージは直接的に影響し、魂の深い所に根付くのです。イメージは多義的であって、同時に様々な意味的パースペクティブを持っています。
このことについて、私は学生時代のある決定的な体験を思い出します。修道制度の授業との関連で、私たちはある古いシトー修道院を訪ね、案内の後に、夕べの祈りに参加することにしました。日没の夕日が、外から薔薇窓を通して、暗くなった教会へ入り込んできました。私はあの薔薇窓の魔術的な力に心を引かれ、長い間静止状態にありました。家へ戻った後、この場面をすぐに絵にしました。
                     
この体験によって、絵画、そしてC.G. Jung の心理学への関心が私の中で生まれました。絵画展覧会に行くことがとても好きになりました。美術史的知識よりも、絵との一種の対話が重要になりました。たとえば、情趣に富む、どこかで見た、手に入れた絵を,家でアレンジして、壁に掛けます。見掛けは偶然にしか見えませんが、しかし実は無意識的なコラージュのようなものです。絵には、時が経つにつれてだんだん明らかになる、共通のテーマがあります。コラージュの中で、絵は互いに照らされ、解釈されます。時にコラージュは変わって生きます。一つの絵の代わりに、他の絵が入ってくることがあります。私にとってそれは、生の海に浮かぶ意味の島のようなものです。
                     
ここ数年、私はハンガリーのイコン画家のお蔭で、東方教会のイコンの世界に出会いました。そのイコンの世界には、例えば人間の神への歩みを象徴する“天国への階段”というモチーフがあります。階段が険しくて、登っていく人たちの何人かが階段から落ちる。この初期キリスト教的モチーフに最近再開して、私はこの絵を白隠(はくいん)慧(え)鰐(かく)禅市の“橋を渡る盲者”という絵とつなぎ合わせました。限りない空間へ出るような橋を模索する盲人たち。この二つの絵は、現在、異文化間の対話の中にあり、深刻とヒューマーの密接な関係を私に意識させてくれます。

(D. Wider; 2015年 7月)

薔薇窓



薔薇窓

天国への階段



天国への階段

白隠慧鰐



白隠慧鰐
(http://terebess.hu/zen/hakuin/hakuin36.html)
 

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