2014.03.05.
教員リレーエッセイ: キリスト教とゴルフ /向井 考史 教授

キリスト教とゴルフ

1722年 1月26日にスコットランドの牧師の家庭に生まれ、1805年 8月28日にその生涯を閉じたアレクサンダー・カーライルは、エディンバラ大学、グラスゴー大学、ライデン大学で学んだ牧師であり、神学者であった。彼はインヴァレスクの教会で牧会を続ける傍ら、スコットランド国教会の総会議長をも務めた。

啓蒙期を生きたカーライル牧師は、デヴィッド・ヒュームやアダム・スミスのような進歩的な人々とも親交があり、このため保守的なスコットランド国教会にあって穏健ではあるが進歩的な立場を採った。その威風堂々とした風格と古典の学びをこよなく愛する事から、ヒュームやスミスは彼を「ジュピター」と呼んだ。彼は、自分が体験したありとあらゆる事を「自伝」として書き残しており、これは啓蒙期のスコットランド、イギリスの歴史を知る上で貴重な資料となっている。

カーライル牧師の神学的業績については余り知られていないし、それを紹介することがここでの目的ではない。目的はむしろ、彼がキリスト教とは全く異なった分野でも名を残した人である事を紹介することにある。その分野とはゴルフである。

ゴルフというスポーツがいつ、どこで発祥したかについては諸説がある。スコットランド、オランダ、中国などが考えられているが、確定的ではない。最古のゴルフコースはどこかについても議論があるが、1500年代半ばにはプレイされていた記録のある、スコットランドのマッセルバラが最古のコースとされている。このゴルフコースに世界初の会員制クラブ、ロイヤル・マッセルバラ・ゴルフクラブ、が設立されたのは公式記録によると1774年であるが、実質的には1760年にはクラブとしての体制をすでに整えていたという。このロイヤル・マッセルバラ・ゴルフクラブの設立に深く関わったのが、アレクサンダー・カーライル牧師なのである。彼はまた、このクラブで行われた最初のトーナメントの優勝者でもあり、優れた技術を持つトップアマチュア・ゴルファーであった。

カーライル牧師の他にも、ブリティッシュ・オープン、スコッティッシュ・オープン、アイリッシュ・オープンなどの競技で活躍した牧師や司祭が数多くいる。「キリスト教とゴルフ」というと「?」という思いがあるかもしれないが、ゴルフというスポーツの黎明期には、牧師、司祭がその発展に大いに寄与しているのである。

私も若い頃からゴルフに魅入られた一人であり、体育会ゴルフ部の部長を25年に亘って任じられてきた。長くプレイを続けてきた中でつくづく思わせられるのは、ゴルフが不条理のスポーツということである。ナイスショットと思ったボールが、突然の横風に流されて池に落ちたりする。スキーのジャンプ競技であれば、飛行に不利な追い風になると加点され、有利な向かい風になると減点される。ゴルフではそのようなことはない。理由が何であれ、池に落ちたボールには罰打が加えられる。その不条理を如何に冷静に受け止め、如何に最善の対処をするか。最善の対処を可能にするために、如何に技術を獲得し、磨くか。ゴルフは、大自然のもたらす不条理との闘いのスポーツであると言っても良い。

ゴルフはまた、唯一審判のいないスポーツでもある。競技に必要な処置は全て、自己の責任においてなさなければならない。

我々の人生についても同じである。我々は自分の人生を全て自己の責任において生きていかなければならない。そして、「エデンの園」から追い出された人間の住む現実の世界は「エデンの東」であって、そこには不条理が充ち満ちている。人の世の不条理に遭遇した時、我々はどのようにして克服するのか。

聖書は我々に、それをあるがままに受け入れ、超越者の助けを祈り求めながら、不条理から脱出するための最善を尽くし、その祈りが叶えられれば、それが自分の実力だと思い上がることなく、むしろ謙虚に感謝する事を教え、叶えられなければ、なお祈りつつ最善の道を求める事を教えている。

キリスト教信仰とゴルフには、そのような求道的要素が共通している。(向井 考史; 2014年 3月)

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