社会学研究科のススメ_電子書籍版
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桑くわ山やま 敬たか己みだ戦後を引きずっていた時代ですが、どういうわけか私の周りには幼少の頃から外国人がいて、フランス語をフランス人の先生から、英語をネイティヴ・スピーカーから習いました。言葉と文化の勉強が好きだったので、大学は東京外国語大学(英米語学科)に行き、大学院修士課程では同大学の地域研究科でアメリカ研究を専攻しました。しかし、勉強を続けていくうちに、より体系だった文化人類学を学んでみたくなり、研究対象地域もアメリカから日本へと変えました。当時、日本には文化人類学の専門家は少なく、日本研究などという分野も存在しなかったので、1982年、奨学金をもらってアメリカのカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に留学しました。博士論文調査は岡山市西北端にある農村に住み込んで9カ月ほど行い、現在でも継続的に調査を続けています。 私は研究者としてはそろそろ晩年ですが、若いときを振り返ってみて非常にインパクトが大きかったのは、UCLA卒業後、1989年から4年間教えたヴァージニア・コモンウェルス大学での体験です。そこで私は文化人類学の教員として鍛えられ、また自文化の日本をアメリカ人の目から見て英語で語るということを学びました。しかし、いくら日本のことを肌で知っていても、しょせん外国語の英語で、日本に生まれ育った私が、アメリカ人ほどうまく日本について語れるはずはありません。悪いことに、英語圏における日本の学問的評価は概して低いので、日本語で文献を読めるという本来ならメリットのはずの能力も、うまく生かせませんでした。もちろん、根本的な原因は私個人の能力不足ですが、それ以外にも、世界の学問の在り方そのものに隠された問題があって、日本を含む非西洋圏の研究者には不利な仕組みになっているのではないか、と考えるようになりました。 1993年に帰国後、このような問題意識をもって私は考え続け、2004年にNative Anthropology: The Japanese Challenge to Western Academic Hegemonyを、2008年には日本語版の『ネイティヴの人類学:知の世界システムにおける日本』を世に問いました。現在、日本語版は中国語に翻訳中です。知の世界システム論に関する論文は英語でもかなり書いたので、外国人研究者とのネットワークもできました。今現在、私は日本人が英語で日本について語ることをテーマに、単著を執筆中です。 最後になりましたが、私は2018年に関西学院大学に着任したば36かりなので、まだ学生の指導は手探り状態です。ただ、前任校の北海道大学での経験から言えることは、文化人類学を真剣に勉強したい人なら国籍を問わずに歓迎するということ、そして、どんなテーマを取り上げるにせよ、がむしゃらに本を読んで、フィールドで自分の足を使って資料を集め、最終的には自分の頭で考えて独自の理論を作る気概のある人を歓迎するということです。Challenge to Western Academic Hegemony (Trans Pacific Press, 2004).単著)桑山敬己『ネイティヴの人類学と民俗学:知の世界システムと日本』(弘文堂、2008年)編著)韓敬九・桑山敬己(編)『グローバル化時代をいかに生きるか:国際理解のためのレッスン』(平凡社、2008年)編著)綾部恒雄・桑山敬己(編)『よくわかる文化人類学(第2版)』(ミネルヴァ書房、2010年)編著)桑山敬己(編)『日本はどのように語られたか:海外の文化人類学的・民俗学的日本研究』(昭和堂、2016年)編著)桑山敬己・綾部真雄(編)『詳論 文化人類学』(ミネルヴァ書房、2018年)訳書)ジョイ・ヘンドリー著、桑山敬己ほか訳『社会人類学入門:多文化共生のために(増補新版)』(法政大学出版局、2017年)本文化人類学会のweb site は以下にありますので、参考にしてください。http://www.jasca.org/ 海外では、アメリカ人類学会 http://www.americananthro.org/ と、イギリス王立人類学会 https://www.therai.org.uk/ が参考になります。 研究・教育内容 私は1955年に東京の神田で生まれました。今から考えると、ま 代表的な著書・論文等単著)Kuwayama, Takami Native Anthropology: The Japanese 研究紹介のホームページなど追加情報 私自身のホームページはありませんが、長らく理事をやっていた日専門分野・キーワード⃝文化人類学⃝日本・東アジア研究⃝外から見た日本⃝知の世界システム論教授

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