社会学研究科のススメ_電子書籍版
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研究紹介のホームページなど追加情報私が関わっている「生きづらさからの当事者研究会」(通称「づら研」)の概要は以下です。http://www.foro.jp/nar'nywa/dzuraken.html貴き戸ど 理り恵え30きづらさからの当事者研究会」をフィールドに質的調査を行いながら、居場所・当事者研究と就労支援をつなぐ可能性を模索することです。共同性がやせ細り個人が強調される現代社会ですが、そもそも人は共同性のなかに位置付けられていなければ、選択や責任の主体であることは困難です。学校や仕事に向けて個人が一歩を踏み出すうえでも、学校や仕事のほかに共同性を産出する場を持っていることが重要だと考えています。 ゼミの形式は、集まった人の関心に応じて、①個人研究発表、②関連文献の輪読、のかたちで進めていきます。論文The Angst of Youth in Post-Industrial Japan: A Narrative Self-Help Approach, 2016 New Voices in Japanese Studies vol.8*2000年代・2010年代の日本語の論文・雑文は、『「コミュ障」の社会学』に収録されています。*2013年から東京新聞の「時代を読む」というコラムを連載しています。 研究・教育内容 私の研究の出発点は、私自身の不登校経験です。 1978年生まれの私は、小学校のほぼ6年間、つまり1985年から1991年までを学校に行かずに家で過ごしました。当時、不登校は子ども本人や養育者の異常な性格傾向による病的なものと捉えられており、対応はあくまでも元の学校に戻す「登校強制」が主流でした。一方、この時代は「不登校は病気ではない、人生の選択である」として、親の会や学校外の居場所を創設しながら権利主張を行う不登校運動が興ってきた頃でもありました。ただ学校に行かないというだけで、「治療・矯正」の対象とされてしまう悲しみと理不尽。そして、苦境にある個人に寄り添いながら社会を変えていこうとする運動の希望。それらを共に感じながら、子供時代を過ごしました。「ある時は<病気>と言われ、別の時は<選択>といわれる不登校とは何だろう。特に当事者にとってのその意味とは」。修士論文のもとになった問いが芽生えました。 大学時代で社会学に触れました。 小熊英二さんの国民国家論から、不登校を異常視する「この社会」を歴史化する視点を得ました。上野千鶴子さんの女性学/フェミニズムから、「自分のことを自分で研究してもよいのだ」と目を開かされました。スピヴァクもバトラーも読んでもさっぱりわからなかったけれど、知った顔で論じている周りの学生たちよりも、何だか自分の方が底のところで分かっているような気がした。その不遜な確信に導かれて、大学院に入りました。 不登校は、日本の近代化の在り方を映し出す窓のような現象であり、広い射程を持っていました。 戦後日本の「人的資源開発システム」は、均質性・開放性の高い学校教育と、キャリア開発と生活保障を行う日本的企業、その二つを潤滑に橋渡しする新卒一斉採用に立脚していました。学校はその要であり、学校に行かないことはそれだけで「社会から漏れ落ちること」を意味していました。これが80年代の不登校に対する強い風当たりと、ひるがえって運動の推進力の、背景にありました。 2000年代以降、学校の多様化・柔軟化や雇用劣化のなかで、不登校はキャリアの問題として捉えられるようになり、「その後社会に出ていける<予後の良い>不登校」と「ひきこもりや無業などにつながる<予後の悪い>不登校」を分けるまなざしが生じていきます。そこでは不登校運動言説は、「不登校でもキャリアを築ける」という新自由主義的主体を支持するのか、あるいはひきこもりや無業の状態にある存在と連携しながら「社会から漏れ落ちること」に寄り添い続けるか、という問いを突き付けられます。私の研究は、不登校に携わる人々に後者の方向を選ぶための言説資源を提供する、という運動的志向を帯びています。 現在の関心は、2011年からコーディネーターを務めている「生 代表的な著書・論文等著書『「コミュ障」の社会学』2018、青土社『平成史』2014、河出書房『女子読みのススメ』2013、岩波ジュニア新書『「コミュニケーション能力がない」と悩むまえに』2011、岩波ブックレット『コドモでありつづけるためのスキル』『不登校、選んだわけじゃないんだぜ』よりみちパン!セシリーズ『不登校は終わらない』2004、新曜社専門分野・キーワード⃝不登校・ひきこもり⃝教育社会学⃝当事者研究准教授

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