
学生 建物づくりの現場を支え 誰かの居場所となる空間を。
京都府出身。高校時代にSNSで死を疑似体験する授業を知り、「死生学」を専門とする藤井美和教授のもとで死について学ぼうと人間福祉学部人間科学科に進学。さまざまな学びを通して、人が自分らしくいられる“こころの居場所”が重要だと感じ、そんな場所づくりのためにできることを考える中で、人の思い出、癒やし、自分らしさのよりどころとなる建物に興味を持つ。卒業後は総合建設業者の総合職として、大勢の人の居場所となる建物づくりに取り組む予定。
祖母の死をきっかけに死について考えるように。
小学6年生の時に大好きだった祖母が亡くなり、ものすごく喪失感を味わいました。
そこから立て続けに親戚が亡くなったこともあり、中学生の頃から「死ぬって何なのだろう」とよく考えていました。
高校時代にたまたま、SNSで死を疑似体験する授業の感想を見つけて、大学にはこんな授業があるのだと衝撃を受けました。「人生観が変わった」という人もいて、気になって調べてみたら、関西学院大学人間福祉学部に「死生学」を専門とする藤井美和教授がいらっしゃることが分かりました。それまでは手に職を付けた方がいいのかな、くらいの気持ちから理学療法士の資格が取れる大学を志望していたのですが、好きなことを学べるのは大学時代しかないと思い、人間福祉学部を受験し入学しました。ところが入ってみると藤井教授は米国留学中で、2年生では受講できませんでした。3年生になった年に復帰され、入学前から一番興味があった「死生学」は3年生の春学期に履修することができました。同時に藤井ゼミに入り、秋学期には「デス・エデュケーション」も履修しました。
大切な人を手放すのは本当につらかった。
「死生学」の授業では、死を疑似体験するワークショップが印象的でした。自分の大切な物や人など、合計12個を紙に書いておき、自分の死のプロセスを、藤井教授が語っていくのに合わせて一つずつちぎって手放していきます。最後に残ったものを手放す、その瞬間が死なのです。大切なものを手放すことはつらい体験でした。物はすぐに手放すことができましたが、人を手放すことは本当につらかったです。高校時代は、死ぬことと生きることは本来同価値で、平等であるはずなのに死が大きく見えることに疑問を持っていました。思春期でもあり死が大きく見えていたのでしょうが、授業でいざ経験してみると、誰かを手放さなければいけないとなった時にその人たちとの思い出がどんどんフラッシュバックしてきて、どうしても手放すことができませんでした。私は生と死が平等だと思っていたはずなのに生きることに執着していたことに気づいてちょっと恥ずかしくなったのと同時に、答えを出した気になって生きるとは何か、死とは何か考えることを辞めてしまっていたと気づきました。また「デス・エデュケーション」は、生命倫理に関することや死刑など死に関連するトピックについて少人数で学び考えるというものです。印象に残っているのは人称の変化の話で、同じ事故のニュースでも被害者が他人の場合、つまり三人称だと特に何も思わないのに対して、二人称となる大切な人であればショックを受け、一人称だとまた見方や感じ方が変わるという内容です。物事は人称を変えて考えることで見えるものが違ってくるので、多層的に見るように心がけています。2つの授業を受けて今思うのは、自分が死ぬよりも死なれる方が怖いということ。なぜなら、その人との関係において「まだちゃんと話せていない」「まだあなたについて理解できていない」と思い残すことがあるからです。これからは、そういう後悔がないように生きていこうと考えています。実は、「死生学」の授業で最後に残った大切なものは母でした。今は別々に暮らしているのですが、私の好きなアーティストのライブに一緒に行ったり、逆に母の趣味に付き合ったりと、以前より関係性が密になり、友人に近くなった感じです。今後は頼るばかりではなく、母のことをもっと知りたいと思っています。
卒論のテーマは音楽ライブの体験が生に及ぼす影響。
3年生の時のゼミでは、2、3人1組で、生と死に関連するトピックの中から興味のあることについて調べ、発表し、全員でディスカッションをしました。
死ばかりではなく生きることに注目している組もあり、価値観や世界観、関心事はゼミ生それぞれ違うので、自分があまり目を向けなかったトピック、例えば目標と生きづらさの関係等について知り、考えることができるのはとても面白かったです。加えて、ゲストスピーカーの方のお話を聞く中で死や生にまつわる知識がどんどん蓄積されていきました。卒論では、音楽ライブに行く体験が生きることにどう影響を及ぼしているのか調べています。1年生の時から軽音楽サークルに所属していて、2カ月に1回のペースでライブ活動を行っており、舞台に立ち観客の人たちと同じ空間を共有することで「人とつながっている、生きている」という思いが湧き上がってきます。また、アーティストのライブに行くと、演者から受け取った熱量や音楽が自分の糧になっていく感覚があり、ライブが娯楽の域を超えて人にどんな影響を与えるのかを知りたくてテーマに据えました。先行研究で、音楽を聞くことは青年期のアイデンティティを形成する一要素になる、ライブに参加することで生きている実感が湧くという結果は出ていますが、もう少し他の側面から効果を探りたいと考えています。
同じ悩みでも背景や事情は一人一人違う。
藤井教授の授業以外では、2年生の時の「人間福祉フィールドスタディ」が心に残っています。
私は春休みの約3カ月間、LGBTQ+の人々やその理解者が定期的に集える機会を提供し居場所づくりに取り組むNPO法人MixRainbowでフィールドワークを行いました。身近にLGBTQ+に当てはまる人がいたこと、MixRainbow理事長の井餘田みのりさんがゲストスピーカーとして授業に来てくださった際に、「この人のもとで学びたい」と思ったことが理由です。イベントや講演の手伝いをする中で、当事者一人一人が抱えている問題やその背景、知識だけでは補えない個人の悩みを知ることができました。例えば、トランスジェンダーの方で普段は出生時に割り当てられた性で生きていて、周りからの偏見の目や対応により好きな格好ができないという同じ悩みを持つ2人がいました。同じ悩みでも、一人は性被害がトラウマで好きな服装ができない、もう一人は服装と髪形の趣味に従うと体の性に見られてしまう、といった違いがありました。実習に行く前に抱いていた「なぜ性的マイノリティの人は排除されやすいのか」という問いに対する答えとしては、自分みたいに一部の声をステレオタイプ化してしまう人が多いこと、いったんそのラベルが付いてしまうとそこばかりに目が行ってその人自身を見ることができないことが原因であり、さらに無関心が差別を助長しているとも感じました。
誰かの居場所となる建物をつくる仕事に関わりたい。
さまざまな学びを通して、人が自分らしくいられる“こころの居場所”が重要だと感じるようになりました。
そんな場所をつくるために自分ができることは何かと考えた時、「建物は人の思い出をつくり、物理的にも人のこころにも、よりどころとなっている」と気付き、建物づくりに携わることができる企業を中心に就職活動をしました。卒業後は総合建設業者で事務系総合職として働く予定で、キャンパス内で開かれている外部の資格取得・試験対策講座を活用しながら宅地建物取引士になるための勉強もしています。「学んでいるのが人間の中身を扱う学科なのに、どうして物理的なものを扱う所へ?」と思われるかもしれません。専門職のように一人一人と向き合う仕事と、民間企業のように大きな視点で多くの人に影響を与える仕事、そのどちらも大切であり、私は後者を選びました。建物は不特定多数の人が利用します。例えば、ライブ会場になれば、観客の中にはマイノリティの人がいるだろうし、何かに苦しんでいる人もいるかもしれません。そういう人たちが居場所を求めてやって来て、明日からの活力を得て帰っていく、そんな建物をつくる現場のお手伝いができればと考えています。また、実際に工事を行う人がスムーズに動けるような環境づくりにも取り組みたいです。大学に入るまでは、未来に対してそんなにポジティブではなく、なんとなく進学して、就職して、働いて死ぬのだろうと思っていました。でも、人間科学科で知りたかった死についてさまざまな角度から考えたり、同じゼミのメンバーと価値観に触れるような議論をしたりして、生きることに積極的になり、将来の目標を見つけることができました。また、日雇い労働者のまちといわれる大阪市西成区のあいりん地区や、子ども時代にトラウマになるほどの過酷な体験をしたエースサバイバーなど、授業を受けなければ一生知らなかっただろう問題について学んだ白波瀬達也教授の「社会問題論」や、自覚していなかった女性の性差別を知った澤田有希子教授の「現代ジェンダー論」などを受講し、学ぶ喜び、知る楽しさを感じることができました。私個人としては就職が大学の集大成や最終的な結果だとは思っていなくて、一つの選択に過ぎないと考えています。ただ、大学で経験したことはずっと自分の中に残り続けるし、この先も大学で学んだことや経験に基づいて判断したり考えたりすることがあると思います。今後は学んで得たことを、自分を救う方向にばかりではなく、外にも向けることができるよう、周りの人との関係を大切にしながら生きていきたいと思っています。