
学生 障害者と家族が少しでも生きやすくなる社会にしたい。
大阪府出身。妹に発達障害があり、本人や家族のつらさを感じてきたことから、「障害者とその家族がもっと生きやすい社会に」という思いが芽生え、人間福祉学部社会福祉学科に進学。ゼミでは「義務教育機関における発達障害の事前改善措置」をテーマに卒業論文を進めており、将来は教育現場での障害児支援の充実をはじめ、障害者の福祉制度やサービスの改善に携わりたいと公務員を目指している。
障害は個人ではなく社会が生み出していることを学ぶ。
私が小学4年生の時、2歳下の妹が発達障害と診断されました。
一見「普通」に見えるものの感覚過敏でよくパニックを起こしていましたが、当時の小学校ではなかなか理解されず、担任が変わるたびに家族が事情を一から説明し直さなければなりませんでした。その後、妹が不登校になって困っていたところ、大阪市の相談窓口で対応してくれた社会福祉士の方から「米国は発達障害児の支援が進んでおり、日本から移住して適応できた子どもがいる」と聞き、父が米国人でもあるので妹は思い切って移住、学校に通えるようになりました。この一件から、日本の教育機関ももっと改善されるべきと感じ、学校福祉に携わる仕事ができたらと社会福祉学科に入学しました。
学科の授業で最も印象に残っているのは、松岡克尚教授の「障害者福祉論」です。それまで障害は個人の問題だと思っていましたが、授業で障害は社会が生み出していると見なす「社会モデル」を学び、自分の中での障害に対する考え方が大きく変わりました。松岡教授は一方的に話すだけではなく、学生たちに「眼鏡やコンタクトを着けている人は障害者なのか」「違うのならそれはなぜか」など問いかけ、考えさせながら授業を進めます。自らの頭で考えるうちに、目が悪い人が眼鏡などで視力を補いながら当たり前のように生活しているのと同様に、障害者といわれている人たちも障害をカバーできるものや環境が整えば障害者ではなくなるということが自然と理解できました。
その人にとって本当の幸せにつながる支援が必要。
入学当初は教育現場での障害児支援に関心が限られていましたが、もっと多様な分野に視野を広げた方がいいと思い、3年生の「ソーシャルワーク実習」は高齢者と障害者の支援機関で行いました。
1カ所目は特別養護老人ホームに併設された通所介護事業所(デイサービス)で、5日間高齢者と接しました。その中で、利用者の方が普段から家族や他人に「迷惑をかけている」と負い目を感じていることがうかがえ、高齢者の尊厳を支える心のケアの必要性について考えさせられました。
もう一つの実習は障害者相談支援事業所で、約1カ月間通いました。障害者のサービス等利用計画を作成するのを主な業務としており、私も勉強用の試作ではありますがグループホームで生活している方のサービス等利用計画書作りに取り組みました。その方と何度か面談し計画書に希望事項を盛り込んだのですが、実習指導者からは、希望をそのまま反映させるだけではなく、優先順位を考慮し、長い目で見てその方が地域で安心して暮らせることを目標にした計画を策定する必要があると教わりました。実習は総じて、教科書ではなく実際の関わりを通して気づかされ、得られることが非常に多い時間でした。
障害者の世界に関心を持ってもらう難しさを実感した。
2年生の時に「ソーシャルワーク実習」を障害者支援の分野で選ぶことに決め、3年生からのゼミも同じ分野を専門とする松岡教授のもとで学ぶことにしました。松岡ゼミでは自分たちで企画を立ててさまざまなイベントに取り組みます。3年生の後半は聴覚障害があるスポーツ選手、デフアスリートとの交流会の企画を練り、一般参加者も募って春休みに開催しました。ゲストには聴覚障害者の世界的なスポーツ大会「東京2025デフリンピック」に出場したバドミントンとバレーボールの選手2人を招待。手話通訳を介してデフリンピックの思い出を聞いたり、参加者からの質問に答えていただいたりしたほか、デフアスリートも交えて参加者と一緒にデフスポーツを楽しみました。選手へのオファーは松岡教授にお願いしましたが、当日の準備やイベント告知などは全て自分たちで行いました。私はサブリーダーを務め、広報も担当したのですが、時季的なこともあってなかなか申し込みが増えず、SNSで発信したり知人に協力を依頼したりして何とか十数人が集まりました。交流会の冒頭で簡単な手話を紹介し、デフスポーツ体験の際にはみんなで手話で応援したことで会場に一体感が生まれたのがうれしかったです。集客活動では障害者の世界に関心を持ってもらう難しさを感じましたが、参加した方がこのイベントをきっかけに障害者との共生について考えるようになってくれたなら意義があったのではないかと思います。
離島が抱える高齢者福祉の課題を知る。
ゼミでは合宿もあります。3年生の春休みに沖縄国際大学総合文化学部人間福祉学科の学生たちと共に沖縄県の渡嘉敷島を訪れ、地域包括支援センターや社会福祉協議会を見学して島の福祉の現状を学んだり、島の高齢者たちと交流して太平洋戦争時の話を聞いたりしました。渡嘉敷島には高校がなく、島で生まれた子どもたちは中学校卒業とともに島を出て行くため、若者がほとんどいません。島民の高齢化が進む一方で、島内には老人ホームなどの高齢者介護施設はなく通所介護事業所が1カ所のみ。住民同士の結び付きが強いので、近隣の人の支えはありますが、いよいよ自分で動けなくなったら施設が整備された沖縄本島などに移り住まなくてはいけません。「島の福祉は地域住民の協力がないと成り立たなくなっている」という福祉担当者の切実な声に、離島ならではの課題を知りました。障害者福祉も同様で、沖縄本島に移住しなければ専門的な支援が受けられないという事情を学びました。
4年生になった今は卒業論文を進めています。テーマは妹のこともあって「義務教育機関における発達障害の事前改善措置」にしました。まずは日本の教育体制についてまとめ、ヨーロッパ、北米、アジアなどエリアごとに発達障害児に対する教育支援内容を調べ、日本の教育現場で取り入れられそうなことを見つけたいと思っています。松岡教授は学生の主体性を大切にしながらも調査の進め方や参考になりそうな資料などを適宜アドバイスしてくださいます。私が福祉に興味を持つ原点となったテーマなので、納得いくまで調べ、自分なりの答えを導きたいです。
公務員になって学校での障害児支援を充実させたい。
全ての障害児が安心して過ごせる教育現場にしたいという思いは変わらず、将来は社会福祉士の国家資格を取得し、公務員として自治体で働くことを希望しています。事前に自治体の教育支援の現場を見ておきたいと、4年生の春からは「ソーシャルワーク・インターンシップ」で、宝塚市が運営する中学生のための不登校支援教室に週1回通っています。不登校の生徒たちの居場所であり、1日7、8人が訪れ、施設の職員やボランティアスタッフたちとおしゃべりをしたり、みんなでカードゲームをしたりと、思い思いに時間を過ごしています。大学の授業では子どもたちとの接し方を学ぶ機会がなかったので、最初はどのようにコミュニケーションを取るべきか迷いがありましたが、職員やスタッフの方を見ていると、生徒たちと同じ目線で接し、生徒たちもそういう大人に心を許して何でも話しているので、私も生徒たちと一緒になって楽しむようにしています。来年1月までの間に、生徒たちとの距離を少しずつ縮めていきたいです。さらに8月には、尼崎市で障害児・者福祉の行政としての取り組みを学ぶ予定です。
現在は公務員試験を受けている最中で、来年には社会福祉士の国家試験も控えていますが、今後どこかの自治体の福祉関係部署に配属されたときには、障害児と家族が少しでも生きやすくなる取り組みに関わっていきたいと考えています。私の家では、妹本人はもちろん大変でしたが、親や私もつらい時期がありました。私たち家族と同じような思いをする人が少しでも減るよう、採用された地域で力を尽くしたいと思います。