ご挨拶

[ 編集者:文学部・文学研究科        2018年8月2日   更新  ]

美学・芸術学に出会ってみませんか!

−−ものの本質を究めようとする若い気負い−−

文学部(美学芸術学専修)名誉教授 永田雄次郎

 

『古今和歌集』は次のような文章で始まります。

  やまと歌は人の心をたねとして、よろづの言の葉とぞなれりける

「古文は苦手、よくわかりません。」との声が聞こえてきました。じゃあ、現代文に直すことにします。

  日本の歌とは、人間が心から感動したものやことを、ざまざまな言葉を
  巧みに用いて57577の字数の和歌の形などにつくりあげたものです。

 いかがですか。ここで、「日本の歌」の部分を、美術、工芸、音楽、演劇、映画(アニメも結構)など、皆さんが「芸術」と呼ぶ言葉に変え、文章にも少し手を加えてみましょう。(もちろん文学も芸術ですよ。念のため)

  芸術は人間の心の感動を基本に、それぞれ芸術分野独自の表現方法に
  よって作品としたものである。

 固苦しくなり過ぎました。でも、芸術とは何かが見えかけてきませんか。人間は何に、なぜ感動するのでしょうか。感動した時、人々は「美しい!」と口に出します。ただし、芸術は美しい姿を多くの場合描き出しますが、芸術だけが美しいものでもありません。

 桜の木を前に、人は芸術作品ではない淡い色合いの花を美しいと感じることは事実です。その美しさは、「これこれの要因によって引き起こされ、その結果、美しさというものを感じるに至る」といった理論的理解ではなく、それこそ理屈抜きに直感的に人の心に入ってきます。その上、「美しい」だけではなく、「気高い」、「ユーモラス」など感覚的に人の心にすばやく反応する気分(感性的認識といいます)もあり、美学はそのような働きを研究する学問であるといえるのでしょうか。

 話を芸術に戻しましょう。ある人が世界のあまりの美しさに心を動かされ、カンバス、楽譜、フィルムなど各自の芸術の形に移し換えて作品をつくり、他人がそれを楽しむのが芸術であるとすれば、世の中には芸術家と鑑賞者しか存在しなくなります。ここで、なぜこの作品は美しいのかを分析、研究する人々が登場します。

 美術と映画の美しい表現は、どこが違い、どこが同じなのか、モーツァルトの楽曲の美しさの本質はなにか、各々の国、時代での美しさの受け止め方の相違など、芸術に関するさまざまな問いを投げかけ、それに対して自らの考えを示すのが芸術学であるのかも知れません。

 若い皆さん。あなた方の、ものの本質に迫ろうとするエネルギーが今日の美学、芸術学研究を支えるのです。期待しています。