ご挨拶

[ 編集者:文学部・文学研究科        2018年6月8日   更新  ]

西洋史学を学ぶということ

ゼミの授業風景(橋本伸也教授ゼミ)

歴史を学ぶことになんの意味があるのか、この問いにはこれまでから多くの歴史家がさまざまに答えてきました。彼らは、それぞれ含蓄のある言葉で語っているのですが、そこに貫かれているのは、過去について何か決まり切った出来合いの知識があって、それを不動の真理として身につけることに意味があるのではなく、今この瞬間に生きている私たちがみずからの今を知り、次の時代=未来を形作るために過去との対話が必要なのだ、という考え方です。過去についての知識と理解は、現在と未来に向けられたまなざしを確かなものとするためにどうしても必要であり、そうしたまなざしの向け方によって過去の捉え方も変わりうる、というのです。こうした考え方が教科書の丸暗記としての「歴史」と正反対だということは、何度も語られてきたことですが、なお強調しておかなくてはならないでしょう。知らずには何も考えられませんから、知識を身につけることは絶対に必要ですが、それは目的ではありません。大事なことは、そうした知識を駆使して考えることです。

 では、自国の歴史ならいざ知らず、海のかなたの歴史を知ることにどんな意味があるのでしょうか。西洋史学という学問の守備範囲は、古代のエジプト文明にはじまりギリシア・ローマを経て、中世のヨーロッパ、近世・近代から現代にいたるヨーロッパとアメリカという具合に、地球の反対側の遠い土地の出来事を扱っています。関学西洋史学専修の教員の専門分野も、古代キリスト教、ビザンツ帝国、近世フランス、近現代アメリカ、近現代ロシアといった具合です。いかにも縁遠い世界、という印象を与えないでもありません。

 かつて、西洋史を学ぶ意義は容易に了解できました。ヨーロッパとアメリカは世界でもっとも進んだ文明であり、進歩の模範だから、その歴史を学ぶことは無条件に大切だ、というのです。しかし、すでにヨーロッパを模範とする時代は過ぎ去りました。それなのに、なぜ西洋史なのか。

 「グローバル化」ということがしばしば語られますが、歴史の世界でもこのことは大きな意味を持っているように感じます。「自国史」「他国史」という区分は、無意味化したとは言わぬにしても、意義を減じつつあるように見えます。むしろ、世界の多様な歴史を自分たちにも連なる一つの事柄として理解しようとする態度が強まっています。国境の中にとどまった歴史像は、今では大きく塗り替えられています。西洋史研究者がアフリカやインド、東南アジア、中国の歴史を語ることがいまでは当たり前になっています。「植民地」を考えれば、そのことはすぐに合点がいくでしょう。あるいは、アメリカに移り住んだ日本人(「日系人」)の歴史は日本史なのでしょうか、西洋史なのでしょうか。越境する人々に目を向けたとき、閉じた歴史観では捉えきれぬことがらが噴き出してきます。政治や経済のグローバル化は、歴史の見え方をも大きく変えました。そうしたなか、かつてのように模範視するのではなく、一体化する世界の構造のなかの重要な一齣として西洋史が捉え直されています。

 西洋の像自体も大きく塗り替えられつつあります。イギリス・フランス・ドイツといった大国の陰に隠されてきた中小の多くの国々への関心が増しています。大国の像も書き替えられています。国よりも小さな単位である地方の歴史がいろいろとわかってきました。「ドイツ文化」「イギリス文化」などと安易に呼べぬような多様さが現れてきたのです。国境を超えた「地域圏」という考え方も出てきました。ヨーロッパ自体が歴史のなかで伸び縮みしたものであり、自明のものではないということも了解されてきています。古代エジプトから現代ヨーロッパ・アメリカにつながる西洋史という直線的な像は、ダイナミックな変容のなかにあります。西洋史という学問自体が歴史の中で大きく姿を変えています。

 今の私たちはどんな歩みをへてきてこうなったのか、いやそもそも「私たち」とはだれを指しているのか、そうしたことに長大な時間の流れの中で思いをめぐらして、今日から明日へと人間の歩みをつなぐこと、西洋史を学ぶ楽しさはそういうところにあるのだと思います。

ドイツの大哲学者カントの墓(ロシア連邦カリーニングラード州)

ドイツの大哲学者カントの墓

カントが生涯暮らしたプロイセンの都市ケーニヒスベルクは、第二次世界大戦後、ソ連・ロシア領のカリーニングラードとなった。この街からドイツ人の姿も消えた。これもまた、「ドイツ」「ロシア」といった境界線の不動性を前提にしていては理解しがたい近現代史の一齣だろう。