ご挨拶

[ 編集者:文学部・文学研究科        2018年6月8日   更新  ]

「日本史学のときめき」

西山 克 教授より

伊勢神宮内宮の正殿

私は以前、伊勢神宮の信仰を担う御師と呼ばれた人々の史料を整理していたことがある。この人々は戦国時代の100年間に貿易・金融・旅行など様々な分野に進出して、その本拠とする伊勢の都市化を急速に推し進めることになる。御師は全国に旦那と呼ばれる信者を持つが、そのネットワークはまさに全国のほとんどを覆い尽くしていた。

ある日、私はそんな史料群のなかから、粗悪な紙に書かれた一枚の書状を取り出してみた。鼻紙にもできそうにない薄い紙に、小さな文字がぎっしりと書かれている手紙である。日付は慶長4年(1599)7月28日、有名な関が原の戦いの前の年。差出人は長二郎。いまの滋賀県にあたる近江の国の領主の息子である。

この手紙にはとんでもないことが書かれていた。この長二郎の祖父定清の時代、彼の領地に一人の旅の御師がやってきた。ちょうどそこが戦国大名たちの戦場だったこともあり、村人たちはその御師と諍いを起こしてしまう。怒った御師はふところに持っていた灰を撒いて立ち去った。手紙には「しんばい」と書かれている。つまりは神灰である。

余呉湖の岸に立つ御幣

そこから悲劇が始まった。戦国大名浅井氏に従っていた祖父定清は、戦場で敵と誤認されて味方に殺され、父秀象は織田信長との籠城戦に破れて戦死している。手紙の主である長二郎が今井の家を継いだときには、彼の手元にはもはや僅かな領地も残されてはいなかったのである。

だから長二郎は、来田監物大夫という御師宛にこう書いている。自分のために祈祷してください、護符をください。呪いを解いてください、と。長二郎たちは自分の家の悲劇の原因を、御師の撒いた灰の呪いと考えたのである。

これが現代から500年ほどさかのぼった日本社会の姿の一端である。伊勢神宮の御師が灰を撒けば凶事が起こるという心性は、この時代や社会の何を語っているのだろう。そういえば、昔話のなかで、灰を撒いて桜の花を咲かせたお爺さんもいた。

私たちは過去の歴史を調べようとするとき、多様な史料を読み解こうとする。それは古文書や古記録や金石文のような文字の場合もあるし、絵巻物や肖像画のような絵画の場合もある。また、口頭伝承のようにオーラルなものもある。

それが読み解けたら……。みなさんの前にも、ちょっと信じがたい、ときめいた風景が広がるかもしれませんよ。