
研究者 それは本当に「あなたの考え」なのですか?
中学生の時に、「自分は哲学で生きていく」と決意
私の実家は本が多い家で、子どもの頃は読書が好きでした。ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」などを好んで読んでいたように記憶しています。ただ、大きくなるにつれて安部公房などのシュールな小説を好んで読むようになり、中学生の時には哲学や思想系の本を読むようになりました。そのような本を読むにつれて、中学3年生の時に「自分は哲学をやって生きていく」と、根拠なく思い込んでしまいました。そこで大学は哲学科に進んだのですが、1~2年生の時は音楽のサークルに入って、中学の時から続けてきたドラムをたたいてばかり。哲学を学ぶために大学に入ったのに、プロのドラマーを目指しているのか、というような日々を送っていました。

ドイツの現象学との出会いがその後を決めた
私が大学に入学した頃は、ジャック・デリダなどフランスの現代哲学が注目されていました。しかし、フランスの現代哲学の元になっているのはドイツの現象学であり、それを学んでおかないと理解が難しいということに気づきました。また、大学2年の時にマックス・ヴェーバーの「社会科学および社会政策における認識の『客観性』」を読んで感動し、ドイツ語を独習しながら、本格的にドイツ哲学の勉強を始めました。ドイツ哲学の中で注目したのは「存在と時間」などの著書で知られるマルティン・ハイデガーの哲学。ハイデガーから始めれば、いろいろな方向に進める可能性があると考えたからですが、勉強を進めるうちにハイデガーの現象学が私の大きな研究テーマの一つになっています。

誘われればどんな研究にも積極的に参加
現在の私の研究は、①現象学と呼ばれる分野②近現代のドイツ系哲学の研究③近代日本における哲学・思想の形成過程-の3つが主な柱です。これ以外にも社会学の研究者とともに技術をめぐる論文を書いたり、スペイン哲学の研究をしたりと、セラピストの人たちとの共著論文を執筆したほか、2015年には福島市、飯館町、南相馬市で調査を行いました。風評被害の中、放射性物質の安全評価についてさまざまな立場の当事者からお話をうかがいました。哲学は学問の基礎と言われています。それを研究する者として、世の中の人々が当事者の視点、人間としてのリアリティを受け止め直し、自分の視点から包括的に物事を見ることがどうしたらできるのかを探究しています。

他人の考えを自分の考えと思っていないかどうか
現象学とは、当事者自身の視点から、世の中のさまざまなもの・ことについて、当事者の視点からどう理解するかを研究する学問領域です。当事者性とも呼ばれています。当事者として生きている自分の存在に、徹底的にフォーカスを当てる哲学だと言えるでしょう。人間は何でも自分の視点から見ている、考えていると思いがちですが、それは本当に自分の考えなのでしょうか。ひょっとしたら、自分の考えだと思っていたものは、他の人が言っていたことではないのか。そう考えなおすことを大事にしているのが現象学です。情報があふれる現代社会では、その情報に振り回されて、本質を見誤ることもよくあります。そんな時代にとって現象学は、有効な学問であると私は感じています。

現象学の視点からワクチン接種に関する情報を考える
人間は自分の知識だけですべての判断ができるかと言えば、そうではありません。専門家の提供する情報を信頼する、あるいは複数の専門家が同じことを言っているから「正しいんだろう」と思うのが、多くの人たちの共通認識であると思われます。新型コロナウィルスワクチン接種に関しては、有効だとする専門家の情報が非常に多く存在しています。ところがその一方で専門家が発信した情報かどうかがよく分からない情報がSNSなどで流布、それを信じる人たちが一定数います。私は医学の専門家ではないので、ワクチンの有効性の有無については断言できませんが、SNSの情報を信じる人が存在するという事実は、現象学的にも非常に興味深いケースと言えるでしょう。

立ち止まって自分の視点で物事をとらえなおそう
情報通信技術の発達で、ツイッターやフェイスブック、インスタグラムなどが普及し、情報伝達の形は大きく変わりました。ツイッターのように文章量が短くなればなるほど、刺激的で極端な意見が受け入れられやすく、あっと言う間に全世界に広がってしまいます。前述の新型コロナウィルスに関する情報やトランプ前アメリカ大統領が発した一連の問題発言はその典型です。大量の情報の中から、一つ一つ自分の視点でこれらの情報をとらえなおすことが重要です。情報を鵜呑みにするのではなく、批判的に見る、つまり「それは本当なのか」と考え直してみることが必要です。現象学を学ぶことによって、そうした姿勢を身に付けることができる。これが現象学を学ぶ意義の一つであると思います。

ドイツと日本の哲学の古典を通して「考える訓練」を
私のゼミでは、3年生のゼミは自分自身の力で生の資料にあたり、頭をひねる訓練の場。ハイデガーの「存在と時間」と西田幾多郎の「善の研究」をみんなで読む形で進めています。担当のゼミ生が「考えるべきと思うこと」を発表、それを聞いた他のゼミ生からの不明点や私が問題提起した点について、全員で議論を行います。一方、4年生のゼミは卒業論文の指導が中心。どんなテーマに取り組むのかは本人に任せていますが、4年生になったばかりの頃はテーマが不明確なため、私と対話をしながら「自分が何を問題と思っているか」を明らかにして、卒業研究に取り組んでもらいます。過去には過労死、映画作品について哲学的考察をした例がありました。

さまざまなことに挑戦し、興味あるものを見つけて欲しい
これから大学に進むみなさんには、何でもいいから強い興味を持って欲しいです。何かに出会わないと、人としての成長はありません。しかし何かを始めてみないと何に興味があるのかが分からない。興味を持つ前提として、いろいろなことに手を出してみるといいでしょう。大学に入ったら、ぜひさまざまなことに取り組んで、興味のあることを見つけて欲しいですね。それから本を読む習慣はぜひ身に付けてください。大学生活において本を読むのは必要なことですし、その習慣はあなたの人生にとって有効なものになるはずです。そして哲学の研究者としては、世の中の情報に対し、鵜呑みにせずに立ち止まって考えるようにして欲しいと思っています。
