◇ふりかえり◇

[ 編集者:経済学部・経済学研究科       2018年2月23日   更新  ]

Looking Back on the Fieldwork

 どこまでも果てしなく続く広く青い空、夜には私たちに光を与えてくれる満点の星空、歌とダンスがとても大好きで笑顔にあふれていたマダガスカルの人々。私たちは1か月という滞在期間の中で新しい宝物をたくさん発見することができました。日本に帰国後、マダガスカルに行ったことが夢だったのではないだろうか、そう思ってしまうほど現地での生活は濃く、素晴らしい日々でした。私たちが現地で感じた思い、出会い、結びつきを途絶えることなくまた次へとつなげていきます。

住吉 咲久良

 マダガスカルというと、映画のタイトルにもなっているような国で、私は「ジャングルや草原が広がっていて、動物の種類が豊富な国」と想像していました。しかし、実際に現地に赴くと、元々フランスの植民地ということもあって、首都はレストランや、スーパーマーケットがあったりとそれなりに栄えていたのが印象的でした。しかし、ホテルの周りには物乞いがたくさんいて、私たちが乗っていたバスを囲まれることもありました。また、調査のために農村に行くと、首都とは全く違った景色が広がっていて、レンガや草で作られた家、ビリビリに破れた服を着て、裸足で走り回る子供たち、首都も農村部も決して裕福とは言える環境ではありませんでした。このような現状を目の当たりにした時、「わたしたちには直接的に出来ることはないけれど、今回の調査によって将来的にマダガスカルの貧困を救えることができるのなら、この国でのひとつひとつの経験を大事にしよう」と心に決めて、毎日調査を行なっていました。村人たちはアジア人のわたしを最初は物珍しくジロジロ見ていましたが、帰る頃にはわたしの名前を覚えて呼んでくれるようになったり、お昼ご飯のキャッサバ芋をまかなってくれたりしました。実際、調査には1家族あたり約1時間半程の時間を要します。それでも村の人たちは文句も言わずに最後まで調査に付き合ってくれる人がほとんどでした。日本ではどこから来たか分からない人を家にあげて何時間も調査に付き合ってくれるような事はあり得ないので、マダガスカルの人々には、歓迎するという気持ちを大事にするという事を学びました。やはり、実際に現地に赴いてでしか感じることのできない経験がたくさんできました。

住吉 咲久良さん

牧野 愛

見えたのは、どこにまでも広がる果てしない赤、何者にも穢されない澄んだ青、
分かったのは、本当の貧しさ、
感じたのは、命のまばゆさ。

 「貧しさと幸せ」、それがマダガスカルでのテーマでした。日本では、お金を持っていることが必ずしも幸せにつながっているとは思えない。では、お金がなくても幸せになれるのだろうか。本当の貧しさとは、何なのだろうか。
 毎朝、「マナオーナ!」と声をかけてくれる人々、子供たちのはしゃぐ姿、カメラを向ければ恥ずかしそうにはにかむ人たち。しかし、そんな人々の素敵さと対照的に厳しい現実がありました。毎日同じ穴だらけの服、裸足、紐を丸めて作ったサッカーボール、…。なによりも時折みせる、何かを耐えているような寂しい横顔。彼らは、自分たちが貧しいということを、そして、けっして幸せではないということを知っているのだ、と分かりました。
 こんな人たちがいました。視力がほとんどなくなり助けなしには生きられない人、お金がないために病気と闘い続けなければならない人、一度も学校へ行ったことがない女の子、ほとんどの子供が病気だと分かっているのに何もできないと話してくれた村長さん。そんな現実に衝撃を受け、「お金がなくても幸せなのかもしれない」という考えが甘かったのだと分かりました。お金がなければ、生きていけない。
 「貧しさ」も「幸せ」も、分からないことだらけです。でも、マダガスカルから帰った今、分かったことがあります。本当の貧しさとは選択肢がないということ。現状を変えることのできる選択肢がないということなのだと。
 マダガスカルには、どうしようもない「貧困」があります。でも、そこで生き続けている人々がいます。貧しさを微塵も感じさせない笑顔、優しさがあります。一緒に野をかけた友に、キャッサバを一緒に食べようといってくれたあの人たちに、恥ずかしくない自分でありたいです。

牧野 愛さん

粟井 大貴

 私の中でマダガスカルというのは空想の存在の様になっており、前日まで本当に行くとは考えられなかったです。私は「ジェンダー問題解決」のために、村の女性に目を配って調査を行っていました。行く前までは、マダガスカルの女性は昔の日本の女性みたいに外に出ることまで規制を敷かれており、制限の中で生きていると考えていたけれども、実際にはそこまで深刻ではなく村内の女性たちは談笑などをしていました。しかし家庭内の意思決定の際にはやはり未だに男性優位な社会であることが調査を続けるうえで見えてきました。また後に、マダガスカルで働かれている日本人の方やJICAの職員さんと会食をした際にこの話になり、「マダガスカルにはジェンダー問題はないでしょ?」と言われ、私は「実際に家庭に足を運ぶことで分かることがある」と感じました。外から見たら分からない女性差別が中まで見に行くことによって分かることがあるとも気づかされました。またマダガスカルに訪れて「当たり前の日々」というのは、難しいことだとも感じました。ある家庭では、今年のコメがあまり生産できなく困っているという話を聞きました。私たち日本人がコメの生産量が少なくて困る人は本当に一握りであり、毎日三食、食べることができるのが当たり前と感じていた自分に気づきました。この様な事は、私一人の力では何もできなかったと思います。協力してくださったJICAマダガスカル事務所の方々、通訳をしてくださったマダガスカル大学の学生の方々、また何よりも先生に感謝の言葉を述べたいです。

粟井 大貴さん