2012.12.10.
「われら関学経済人」 岡本 利一 さん

【卒業年月】 1977年3月
【名前】岡本 利一(オカモト トシカズ)
【出身高校名】兵庫県立伊丹高等学校
【基礎演習名】 楠瀬 敏彦 教授
【研究演習名】 内橋 吉朗 教授
【勤務先】 神鋼商事株式会社 取締役常務執行役員

※ 本ページの内容は2012年12月現在のものです。

これまでどんな仕事をしてきましたか?

高炉メーカー系商社に入社し、35年が経ちます。入社以来大阪15年、東京3年と18年間非鉄金属(アルミ・銅)材料、加工品の国内営業を担当しました。その間大阪では3年間親会社へも出向し、メーカーの立場で営業を経験しました。40歳の時に突然シンガポールへの異動が発令され、現地法人の社長として赴任しました。経営全般に携わりながら、小所帯(8名)だったため、鉄鋼や機械、溶接材料といった専門外の営業も担当しました。初体験の連続で「がむしゃらに突っ走った」という感じです。国内営業しか頭になかった私にとっては人生の転機、家族(妻、子供2人)にとっても思い出深い海外駐在でした。 名古屋に帰任し国内営業復帰2年後、突然総務部へ異動、秘書担当としてお2人の社長にお仕えしました。経営者の立場を間近に視たその時の経験はなに物にも代えがたく、大変勉強になりました。一方、それを契機に管理部門へ足を踏み入れることになり資金部、経営企画部に所属し、今は役員として経営企画部と人事部、監査部を担当しています。

経済学部ではどんな学生でしたか?また、どんなことを学びましたか?

ゼミの仲間との麻雀やお酒、多岐に亘る話題で議論したこと、夏には海、冬にはスキーと長期の休みも満喫したことを懐かしく思い出しますが、基本的にはまじめに授業を受けた方でした。3年生からは内橋ゼミで金融論を学びました。比較的成績優秀で大人しい人が集まるまじめなゼミで、授業は皆さんに引っ張っていって頂きました(私を含む数人は勉強以外の守り立て役でした)。4~5人のチームでテーマを担当し、発表するゼミ合宿は事前準備がかなりハードで大いに勉強になりました。卒論は『ユーロダラー』に関するもので、集中して書き上げた記憶があり、そのおかげで金融を中心に経済全般について理解を深めることができ、社会人としてスタートする基礎が備わったと思います(追記:英書購読もかなりタフでした)。

今の経済学部生にメッセージをお願いします!

商社に入った経験から実感することは、関学経済学部は『経済界で活躍できる素養を身に付けられる学部である』ということです。自信を持ってください。諸先輩方も活躍されておられます。勉強する環境は整っています。あとは本人のやる気です。この環境、チャンスを無駄にすることなく、全力で取り組んで頂きたいと思います。勉強しかり、友達作りしかり、遊びしかり、今やるべきことに集中し全力で臨んでください。何にしてもやり遂げたことがある人は輝いており、自信が溢れています。安定感が感じられます。 昨今、どの業界でも海外との関係を抜きにしては語れない社会になっていることを痛感します。海外との取引、コミュニケーションはただ単に語学が出来るだけでは充分ではありません。その地域や国の歴史・文化・宗教・価値観などを理解していなければなりません。『百聞は一見に如かず』です。ぜひ、学生時代の自由な時間を利用して、海外を実感し、勉強してください。また、学生である以前に社会人でることを意識して、礼儀や立ち居振る舞いもきっちり身につけてください。

これから経済学部を目指す高校生にメッセージをお願いします!

私は高校時代はクラブ活動中心(サッカー部)且つ典型的な文系で世の中の経済的な動向に興味がある生徒でした。将来は、メーカーよりも金融・商社に進みたいという漠然とした感覚を持っていたように思います。正直、大学受験はイメージが先行し、『経済といえば関学』『関学といえば英語』という感じで、苦手な英語を中心に受験勉強した記憶があります。念願が叶い関学経済学部に入学して実感したことは、『私の目に狂いは無かった』ということです。すばらしい環境と、整った教授陣、営々と引き継がれる人脈と歴史・伝統。皆さんも我々の仲間になってください。熱意を持って目指せば叶います。皆さんの入学を待っています。頑張ってください。