2011.09.22.
「われら関学経済人」 清水 洋一郎 さん

【卒業年月】1974年3月
【名前】清水 洋一郎 (シミズ ヨウイチロウ)
【出身高校名】成蹊高等学校
【基礎演習名】杉谷 滋 教授
【研究演習名】杉谷 滋 教授
【勤務先】 株式会社JTBコミュニケーションズ(総合プロデュース会社)

※ 本ページの内容は2011年9月現在のものです。

これまでどんな仕事をしてきましたか?

 卒業後JTBに入社し、第一線で営業したいとの希望がかない当時日本一の生産性を誇る団体旅行大阪支店に配属になりました。折からの海外旅行ブームの中で様々な組織や企業の旅行を担当させていただき、添乗で世界中を駆け回りました。この時にヨーロッパの伝統的な町並みや文化、アメリカの最先端リゾート、南米のエコツーリズム、オーストラリアの大自然、エネルギッシュなアジアを見て回り今もその経験を仕事に活かしています。 入社10年目の32歳で今のJTBコミュニケーションズの前身である(株)ジェイコムを5人で立ち上げました。JTBの社内ベンチャー企業で博覧会や大型イベントの専門会社です。この間つくば万博や名古屋デザイン博覧会なとの地域活性化イベントや世界観光機関大阪総会など国際会議や様々な大型施設の催事、企業催事、更に官から民への流れからPFI/PPPといった公共サービス事業などを手がけあっという間に29年が過ぎました。会社は社員が500名年商200億円の総合プロディース会社に成長しました。

経済学部ではどんな学生でしたか?また、どんなことを学びましたか?

高校時代からジャズが好きでハービーマン(ジャズフルート奏者)を目指して軽音楽部に入部し、いきなりフルートを始めました。しかし、さすがにものにならず半年でやめて、中学からやっていたギターに転向です。はじめてボサノバグループを作ったり、フルバンドのスイングチャリオティアーズ(由緒あるバンド!)のギターを卒業までやっていました。ジャズの巨匠カウントベーシーは原点です。 経済学部に入学したのか軽音楽部に入学したのがわからない時期もありました。東京生まれで大学から関西なので、友達には言葉が変だといじめられ、だいぶ大阪弁を勉強(?)しましたが、今だに直っていません。専攻は国際経済で多国籍企業を卒論のテーマにしました。「世界を飛び回るビジネスマン」になりたいとずっと思っていました。商社に行くか、旅行会社に行くかで悩みましたが、最後はJTBを選択しました。前向き、外向きな性格で同僚からは陽気なイタリアンと言われていますが、本人はそこまで能天気だとは思っていないです(!?)

今の経済学部生にメッセージをお願いします!

 大学時代はとにかく思う存分遊ぶことが大事です。ひたすら言いたいことを言い、やりたいことをやる。彼女、彼氏を見つけるための不純な動機(?)でも良いので、他の学部の授業にももぐりこむ。当時文学部のロシア語の授業をうけましたが今でも覚えています。(彼女はできませんでしたけど。)経済学、文学、政治学、社会学、法律学などは実は、社会に出て問題やトラブルが起こった時にとても有効です。その基礎知識があることで思考を深くしてくれますし、判断力、洞察力を磨いてくれます。人間としての重要な土台を自分の中に作ってくれます。 大学の4年間ひたすら人間とはなにか、なぜ生きるのか。不条理な現代社会の中で自分をどう位置づけるのかを考える。自分が本当に何をしたいのかを考える。実は今でもそのテーマは変わらず自分の中にあります。その基礎を関学が私に与えてくれました。是非、友達を沢山作って遊び、笑ったり泣いたりし、そして感動してください。

これから経済学部を目指す高校生にメッセージをお願いします!

 関学の雰囲気は好きですか。私は初めて上ケ原のキャンパスに行った時に好きになりました。その直感が大切です。物事を決める時は今でも現場を大事に考えています。どんな仕事にも現場があります。その現場に行って、そこの風にあたると自分は何がしたいのかが見えてきます。それから経済学は現代の社会の基礎です。大きな時代のうねりを知ることができ、会社の仕組みや組織の戦略も見えてきます。競争のメカニズムを知ることはきわめて実戦的だし、資本の原理を知ることで社会が見えます。大学に入って経済学を通じて自分がどう進んだらいいのかが見えてきます。関学の経済学部はそのための大きなヒントを与えてくれます。特にこれからアジア優位の時代が来ます。語学も英語だけでなく中国語も勉強してください。私も2年間中国語を勉強し、今中国ビジネスのど真ん中にいます。国際経済の勉強をしましたが今でも良かったと思っています。是非、関学に来てください。