「われら関学経済人」 尾上 嘉基 さん

[ 編集者:経済学部・経済学研究科       2014年4月1日   更新  ]

~関学経済学部生からのメッセージ~「われら関学経済人」

尾上嘉基さん(1979年卒)大和証券神戸支店による一般投資家対象のIRセミナーでの講演風景

      
【卒業年月】 1979年3月
【名前】 尾上 嘉基 (オノウエ ヨシキ)
【出身高校名】 兵庫県立龍野高校
【基礎演習名】 安保 則夫 教授
【研究演習名】 橋本 徹  教授
【勤務先】 株式会社アップ 代表取締役社長

※本ページの内容は2011年4月現在のものです。

これまでどんな仕事をされてきましたか?

 卒業と同時に、設立されたばかりの会社に新卒第1号として入社しました。アルバイトを通して、学習塾を営むこの若い集団が大好きになったからでした。以来、夢中になって幸せな時間を過ごしました。平成6年に店頭公開、平成15年には東証に上場する会社に成長しました。組織がゼロから成長するプロセスに関わりながら、講師としても小学生や中学生に約20年間指導しました。純粋な多くの子どもたちに囲まれて、疲れることも知らずにこの仕事に打ち込んできました。学習指導の他に、毎年夏に約700人の子供たちと一緒に船を借り切って九州に遊びに行ったり、近くの甲山の清掃活動に汗を流したことは良い思い出です。ある時期、米国・フロリダ州オーランドにフランチャイズ(以降FC)の体操教室を所有しましたが、100ページに及ぶ英文のFC契約書の翻訳は結構厳しかったです。しかし、そのおかげでFC本部があったイリノイや体操教室があったフロリダに何度か足を運べたことは幸運でした。

経済学部ではどんな学生でしたか?

 3回生以降はESS(英語研究部)とゼミが私の大学生活の中で大きなシェアーを占めていました。しかし、当時の私にとってはクラブもゼミもハードで、友人たちの背中を見ながらついていくのに精一杯でした。私が在籍した橋本徹教授のゼミは経済学部の看板ゼミの一つでした。優秀な学生達が集まり、皆さん主体的にゼミに取り組んでいました。私の場合は、何を専攻するかというよりも橋本先生の人柄に学ぶことをテーマとして、面接で入門を認めていただきました。その後、先生の厳しくとも温かみのある個性には影響を受けましたが、専門の財政学にはなぜか興味がもてずドロップアウトギリギリでなんとかやり過ごしました。ゼミ合宿が何度もあり、アルバイトとクラブに追われていた私もその間は大学生らしい充実した時間を過ごすことができました。就職の時期には、通学路でお会いするたびに心配して頂き、温かい助言を何度もいただきました。それから約15年後の橋門会で、入社した会社が株式公開できたことをご報告できたことが何より嬉しかったです。

今の経済学部生にメッセージをお願いします!

 世の中に出る準備をしっかりしておきましょう。社会人になると、人生に迷う暇はありません。考えておくべきことがある人は今の間に十分に考え抜いておいてください。社会人になればしばらくは猪突猛進です。4~5年後には配属部署のエースです。人の価値は、仕事を通し世の中との関わりの中で形成されていくのだと思います。できるなら、自分の生き方に対する揺るぎない信念を卒業までに見つけてください。そのためには読書や人との出会いが必要です。ノウハウ書ではなく「気づき」を示唆してくれる本に巡り会えればラッキーです。また、ゆっくりと学問に浸ることができる時期は今しかありません。今の私には先生方の顔すらおぼろげにしか思い出すことができません。もう少し記憶に残せるぐらい勉強しておけばよかったという悔いがあります。

これから経済学部を目指す高校生にメッセージをお願いします!

 私が経済学部を選んだのは、単純に格好良さそうだったからです。何やら世の中をリードしていくような人になれるような気がして、いいイメージをもっていました。ところが、入学していざ授業を受けてみると、受験勉強とは全く違う世界に入ったようで、努力してもモノにするには無理なのかも知れないと思いました。高校時代は数学も受験勉強でやっていましたが、見たことのない数式で黒板が白く埋まっていくのを茫然と見ていたような気がします。それを説明されていた先生は、聞きなれない専門用語で日本語をしゃべっておられたのかどうかさえも分かりませんでした。まるでオーケストラの指揮者のように手を振り、黒板にチョークをすりつけ、髪をふり乱して説明されていたように思います。質問などできる雰囲気ではありません。経済学部を目指すみなさんは、是非数学だけは頑張っておきましょう。