経済学部
K.G.
2026.04.07[ニュース]

【久保ゼミ】10期生 ゼミ合宿 in 長崎

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【1日目】
8時半に神戸空港に集合して、長崎に11時に到着。長崎空港からリムジンバスで12時半ごろ長崎市に到着し、新地中華街で各自昼食・散策をしました。皿うどんやちゃんぽんなど長崎名物を堪能。15時半からは浦上天主堂や平和公園を訪れました。被爆マリア像を見ると、キリシタン弾圧に原爆と二度も悲劇に見舞われた浦上キリシタンの苦難が垣間見えました。平和学習の後、18時には出島ワーフで海鮮を満喫しました。

久保ゼミ2026.4①

【2日目午前】
8時ごろにはホテルで朝食をとり、9時から一時間ほど午後からツアーのある軍艦島(端島)についての事前勉強会を実施。2015年、軍艦島が「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録されるにあたり、徴用工問題における韓国と日本の認識の違いが起こした軋轢を学びました。

久保ゼミ2026.4②

日本から見た軍艦島
・明治期に限定することで、近代産業の発展を象徴する産業遺産と認識している
・「明治日本の産業革命遺産」としては、軍艦島は徴用工とは無関係

韓国からみた軍艦島
・劣悪な待遇で朝鮮人を働かせていた徴用工問題の現場
・人権問題
・世界遺産申請の際、日本は徴用工問題の説明が不十分だった

上記の問題について、ゼミ生間で議論しました。韓国における、保守とリベラルの間の認識の違いや政府の見解と世論の間の違いなどを議論し、上記の問題について理解を深めました。


【2日目午後】
当初軍艦島に上陸するツアーの予定でしたが、当日の悪天候により中止に。フェリーの欠航を聞かされたときはみんな落胆していましたが、気持ちを切り替えて軍艦島デジタルミュージアムで軍艦島について勉強しました。実際に島内へ行くことはできませんでしたが、軍艦島での居住経験のあるガイドの方から当時の貴重なお話を聞きました!

当時の軍艦島で暮らしていた人々は非常に高い人口密度で生活していたそうですが、学校や病院、警察署などの公共サービスも存在し、多くの子供たちも暮らす島だったとのこと。島内に緑がなく子供たちの教育によくないという理由から屋上に農園がつくられたこと、炭鉱夫は炭鉱に行くためにスカイツリーほどの高さをフリーフォールのようにエレベーターで落下していたことなど実体験も含んだお話を聞かせていただきました。

デジタルミュージアム観覧後は、長崎県美術館を訪れ、文化や芸術に触れました。美術館では、常設されている作品に加え、期間限定で開催中の山下清展の作品を観ることができました。日本各地やヨーロッパ諸国に足を運び、「放浪の天才画家」と称された山下清の数多くの作品は、日本やヨーロッパでの清の旅路を追体験しているかのように感じさせるものでした。貼絵や、点描画を主体とする油彩や水彩画、ペン画など様々な作品を楽しみ、清の生きた大正から昭和期の日本に思いを馳せました。突然の予定変更による美術館鑑賞となりましたが、特別な経験を味わうことができました。


【3日目】
3日目は朝、ホテルを出て大浦天主堂に向け出発しました。大浦天主堂では関西学院大学経済学部を卒業、大学院を修了され、現在長崎大学で勤務されている南森准教授と合流し、お話を聞きながら散策しました。

久保ゼミ2026.4③

大浦天主堂やグラバー園が位置する南山手地区は、江戸幕府の鎖国が終わり、長崎が開港した1859年以降、急増する外国人居住者のために造成された外国人居留地として発展しました。長崎は古くから海外との窓口であり、開国後は欧米諸国の商人や宣教師が続々と来航し、南山手はその中心地として整備されていきました。

大浦天主堂は1864年に建設され、日本に現存する最古のキリスト教建築として知られています。当時は依然として禁教政策が続いていましたが、「外国人信徒のための教会」という名目で建設が許可されました。設計はフランス人宣教師プティジャン神父らによるもので、ゴシック様式を基調とした白亜の外観は、当時の日本人にとって非常に異国的なものでした。

大浦天主堂が完成すると、浦上をはじめとする各地の潜伏キリシタンたちが密かに訪れ、プティジャン神父に信仰を告白した「信徒発見」という歴史的出来事が起こります。これは約250年にわたる禁教の時代を経て、キリスト教信仰が再び公に姿を現した瞬間であり、日本宗教史における大きな転換点となりました。こうした歴史的価値から、大浦天主堂は2018年に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産としてユネスコ世界文化遺産に登録されています。
今となっては時代が大きく揺れ動いた出来事として刻まれていますが、各地に潜伏していた信徒たちが発見される危機を承知の上で大浦天主堂まで赴き、自らの信仰を告白したこの出来事は、恐怖と隣り合わせの中で極めて勇気ある行動であり、長い弾圧の歴史の中でも失われることのなかった強い信仰心と救いを求めて行動せずにはいられない、切実な思いがあったのだろうと感じました。

大浦天主堂を見学した後、グラバー園に入りました。グラバー園には、1863年築の日本最古の木造洋風建築である旧グラバー住宅をはじめ、旧リンガー住宅、旧オルト住宅など、明治期の洋風建築が移築・復元され、当時の居留地の雰囲気を今に伝えています。これらの建物は、石造りの基礎やベランダ、瓦と洋風技術を組み合わせた「和洋折衷」の特徴を持ち、日本の近代建築の黎明期を象徴する存在です。

南森准教授の案内で最初に入った旧三菱第2ドックハウスからは、長崎港を一望でき圧巻の景色でした。園内では、グラバー家の長男・倉場富三郎の半生や、魚類を精密に描いた「グラバー図譜」なども見ることができ、長崎が国際貿易港として果たした役割を改めて感じました。

住宅内部は古写真をもとに忠実に再現されており、暖炉には石炭を燃料とする石炭暖炉が設置されていました。薪ストーブに比べて奥行きが浅いのは、石炭が薪よりもエネルギー密度が高く、少量で高い熱量を得られるため、大きな炉を必要としないからだと知り、当時の生活の工夫に触れることができました。
どの住宅もとても緻密に作られていましたが、暖炉に背を向けるテーブル、チェアの配置など、改良すべきポイントがあり、古写真からより実際の形に近づけられるよう模索しているそうです。

南山手地区は、開国期の国際交流の舞台であり、日本の近代化の出発点の一つです。大浦天主堂とグラバー園を巡ることで、歴史の重みと異文化が交差した長崎の魅力を深く感じることができました。

久保ゼミ2026.4④


今回のゼミ合宿では、長崎の歴史・文化・宗教・産業の多面的な側面に触れ、調べただけでは得られない深い学びを得ることができました。原爆や潜伏キリシタン、軍艦島の歴史など、過去の出来事が現在の社会にどのように影響しているのかを実感し、理解を深められたことは大きな収穫でした。また、現地での見学や、南森准教授のお話を伺うことで、歴史が「生きたもの」として実感できる貴重な体験となりました。