社会学科(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

社会学科

(専門学校・旧制大学)

 旧制の社会学科は、専門学校(高等学部文科、後に文学部)と大学法文学部に設置されていた。
1915年に高等学部文科は3科制となり、英文学科、哲学科とともに社会学科が設けられた。
これは小山東助文科長の描いた構想であった。
ただし、社会学科といっても、社会政策をはじめ経済学や政治学関係の科目が多く、現在の社会学とは内容を異にしていた。
当初は社会学科の入学者は少数であったが、18年に河上丈太郎が教授に就任したころから社会問題研究が盛んに行われ、社会学科生は急増した。

 1921年には文学部社会学科となり、新明正道や松沢兼人らによって体制が確立されていった。
こうした中、社会学科の活動は多様に展開され、22年には英文学会に次いで2番目の学科単位の学生組織として社会学会が結成された。
発会式では長谷川如是閑と大山郁夫の講演が行われている。
24年には社会思想研究会(社研)がつくられ、同年、学科の雑誌として『社会学会雑誌』も創刊された。
社会学会と社研は、当時の社会情勢を背景として、学外の政治的活動とつながりを持ち、そのため警察当局の関心を引くこととなった。
25年には社会学科教員と学生の居宅が警察の捜査を受ける事件もおこり、28年にC.J.L.ベーツ院長の指示で社研は解散した。

 1932年の大学昇格(旧制)とともに、社会学科は法文学部文学科の一専攻となった。
大学と並んで専門教育機関として専門部文学部が成立した。
35年専門部文学部社会学科は社会科となり44年専門学校政経科に統合された。

 1926年に新明正道が東北帝国大学に移ったあと、小松堅太郎が社会学担当教授となった。
小松が44年に辞任したあと、専門学校政経科の大道安次郎助教授が法文学部に移籍し、社会学研究の伝統を受け継いだ。
第2次世界大戦後、48年の新制大学発足とともに、文学部に社会学科が設けられ、大道安次郎を中心に教育の充実が図られることになった。

【参照】Ⅰ 345,369,486【文献】『関西学院大学社会学部三十年史』1995