山岳部(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

山岳部

 山岳部の歴史は、1920年12月の学生大会で志保川鶴之助らが「精神の向上、健康の増進並びに山岳趣味普及に尽力す」と発議して創部された高等学部登山部に始まる。
以来学生登山界において注目される活動と優れた実績を残してきた。
22年に山岳部と改称し、本格的登山活動を六甲山から近畿一円へと展開、北アルプス夏山登山も開始した。
昭和初期から仁川渓谷をゲレンデとしてロッククライミングの練習を積み、活動範囲も北アルプスから南アルプスへと広げた。

 1932年以降、夏は集中登山方式で剱岳と穂高岳で交互に合宿し、冬の登山も本格化、ヒマラヤの研究も始められた。
36年4月、剱岳チンネ正面ルート、7月、鹿島槍ヶ岳北壁中央ルンゼ、40年3月、杓子岳東壁の初登攀は登山史に載る記録である。
戦時下の42年夏の剱岳での縦横な登攀活動、43年3月の後立山全山縦走等も高く評価されている。
戦後幾多の困難の中で再建に取り組み、49年春に後立山極地法縦走で再び注目を浴び、59、61年ペルー・アンデス(アウサンガテ南峰6,200m、ワスカラン南峰6,768m他)、64年カナダ・ローガン(5,959m)へ登山隊を送り成功を収めた。

 1965年以降は、国民的登山ブームの衰退に伴う部員数減少によって活動に制約が生じる中、69年にイストル・オ・ナール(7,403m)、79年にハーディンゲ(現、シアピーク、7,024m)、86年にディラン(7,257m)といずれもパキスタン・カラコルムの7,000m峰に登山隊を送るも惜しくも失敗。
90年に入りさらに部員減少傾向が進む中、98年に日本山岳会青年部カンチェンジュンガ登山隊や日本山岳会学生部ブータンヒマラヤ登山隊に隊員として若手OBや現役部員を派遣するなど、海外登山に継続的に取り組み、2008年、ネパール・ヒマラヤの未踏峰ディンジュンリ(6,196m)に現役部員2名が初登頂する快挙を成し遂げた。
国内では、伝統の岩登りにおいて剱岳を中心に夏冬を問わず挑戦、幾多の記録を残している。
現在部員は少数ではあるが、基礎訓練を重ね、安全第一を旨により高きより困難を求め活動を続けている。

【文献】『エーデルワイス17号―山岳部80年史』2000