鮫島盛隆(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

鮫島盛隆

さめじまもりたか

1897.12.7~1986.2.8

鮫島盛隆

鮫島盛隆

礼拝主事、鎮西学院院長。
佐世保市に生まれる。
1927年、関西学院神学部卒業後、エモリー大学神学部、同大学ポスト・グラヂュエート・スクール、サンフランシスコ・セミナリー卒業。
31年、日本メソヂスト教会神戸平野教会牧師、34年、「京城」メソヂスト教会牧師兼朝鮮教区長を任ぜられ、41年、関西学院の礼拝主事(43年4月以降は宗教主事と改称)に就任。
基督教概説、実践神学も担当した。
第2次世界大戦中の困難な時局の中、その職責を担う。

 戦後の1946年、関西学院に帰院し、チャプレンの職務と一元化された学生課長に就任、戦後のキリスト教主義教育の根幹をなす理念を示した。
さらに50年6月には今田恵院長との連名で全学院宗教委員会を招集、「宗教活動委員会」発足に向けての準備を行う。
一方、45年12月より神学部チャペルで主日礼拝を再開した関西学院教会の主任担任教師釘宮辰生を支え、46年11月、釘宮辞任を受けて第8代牧師に就任、48年6月に鎮西学院に招聘されるまでその責を担う。
51年4月、鎮西学院院長に就任、74年まで務める。

【参照】Ⅰ 611【文献】『鎮西学院九十年史』1973;『関西学院教会80年史』2000