スキー競技部(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

スキー競技部

 1933年12月、山岳部から分離独立し田中務、三戸誠らにより創部された。
それ以前は山岳部の中にスキー競技の部門があり、31年の全関西学生スキー選手権大会(全関西)で優勝を飾っている。
その後山岳部内の方針でスキー競技部門を廃止することが決定されたが、三戸らは山岳部のOB田中時男、秋山岩人らの助言を得、また山岳部の了解をも得たうえで、スキー部を復活させた。

 1934年2月、「スキー倶楽部」として神戸にて発会式をあげ、本格的に練習を開始した。
35年、三戸はOB会「雪艇会」を創設し、初代会長となった。

 1938年1月に開催された全関西第11回大会で優勝。
朝日新聞は「特筆すべき異彩、関西出身者ばかりの覇者関学。
絶えざる努力は必ずいつかは実を結ぶものである。
」と書いた。
同年学生総会にてスケート部、馬術部とともに体育会に加入。
42年1月の全関西第15回大会で2度目の全関西優勝を果たした。

 1952年頃から有望選手が相次ぎ入部し、第2期黄金時代を築いた。
54年の全関西では複合、純飛躍で上位を独占した。
さらに55年の全日本学生スキー選手権大会(インカレ)では関東の強豪に伍して2部優勝し悲願の1部昇格を果たした。

 その後2部へ降格するが1958年1部に復帰し、続く全関西では16年ぶりに1部優勝を果たしている。
小川浩史によるインカレ1部の耐久競技2連覇。
そして全関西1部で4年間、耐久・長距離で優勝という輝かしい記録がある。
その後インカレでは61年2部に降格、64年には3部に降格。
それ以降は3部での戦いが続くことになる。
関西出身者のみのチームとなったが、87年2部に降格するまで全関西1部に踏みとどまる(途中71年に降格、74年に復帰)。
その後全関西3部まで転落するが、未経験ながらも純飛躍・複合競技に挑戦する選手が増え、距離競技・アルペン競技などの選手も切磋琢磨し99年に全関西1部復帰を果たす。

 近年は学院のスポーツ選抜入試制度が浸透し、全国の高校からスキー競技経験者が入部する傾向が顕著(特にアルペン種目)で、部員数も増加。
2014年2月、インカレにて2部優勝し、悲願であったインカレ1部復帰を54年振りに果たす。

 女子選手は、1970年に初めて入部。
71年から全関西の大会に参加する。
その後80年の大会では中島玲子が大回転・回転で2種目制覇を果たす。
近年はアルペン・距離とも競技経験者がそろい、2014年2月のインカレで2部優勝し、創部初の1部昇格を果たした。

【文献】全関西スキー連盟『雪白』1995;『山岳部80年史』2000;『雪艇:創部70周年記念史』2003