鈴木吉満(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

鈴木吉満

すずきよしみつ

1881.7.4~1945.7.24

鈴木吉満

鈴木吉満

高等商業学校長。
滋賀県大津に生まれる。
1900年、同志社中学校を卒業後、渡米し、ウィリアムズ大学、コロンビア大学、ユニオン神学校で学んだ。
11年に帰国し、同志社中学校に勤務、18年には37歳の若さで校長に任命され、情熱的に学校運営に当たった。
23年退職、関西学院高等商業学部教授に就任、英語を担当した。
寮の舎監も務め、学生たちよりその人柄を慕われ、「おとっちゃん」と呼ばれた。
学生主事などを経て、40年、日米関係の悪化により、C.J.L.ベーツ院長ら外国人宣教師教員が退任、帰国し、学院執行部体制が大幅に交代したことに伴い、高等商業学校長に就任。
太平洋戦争の激化と戦局の悪化の中で文部省の戦時非常措置により高等商業学校廃止の方針が打ち出されるや、同僚教員・学生・同窓による存続運動の先頭に立った。
関西学院理事会は廃止を決定したため、44年、11名の同僚教員とともに退職した。
翌年、関西学院の学生たちの徴用先である川西航空機宝塚製作所に自ら求めて就職し、徴用学生たちの指導に当たった。
45年7月24日、阪神間は連続して空襲され、同製作所も壊滅的打撃を受けた。
空襲に際し、防空壕にいったん避難したあと、逃げ遅れた学生を救出するため壕を飛び出し、学生を助けたものの、自らは爆死した。

【参照】Ⅰ 353,505,638