大学院(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

大学院

(旧制大学)

 大学令(1918)の第1条で「学術ノ理論及応用ヲ教授シ並其ノ蘊奥ヲ攻究」すると規定された大学院は、同第3条において「学部ニハ研究科ヲ置クヘシ」とされ、その上で「研究科間ノ連絡協調ヲ期スル為」に大学院を置くものとされた。

 この大学令の規定により、大学設立申請時に関西学院大学も大学予科および法文学部、商経学部の2学部に加えて、修学年限1年以上の大学院を設置した(関西学院大学学則第3条)。
さらに大学学則第47条において「各学部ノ卒業生ニシテ大学院ニ入学セントスル者ハ其ノ研究科目ヲ具シテ本大学ニ出願出ヅベシ……当該学部教授会ノ議決ヲ経テ之ヲ許可ス」と定め、他大学卒業生については、第48条で「当該学部教授会ノ銓衡ヲ経テ之ヲ許可スル……」と定めた。

 第1回大学卒業生の出る1937年には、大学院の法文学部に7名の入学者があったものの1年未満で退学し、38年には2名の入学者があったものの、39年には在籍者は一人もいなくなった。
40年には大学院の商経学部に1名の入学者があったが、同年の大学院の法文学部1名の入学者とあわせてわずか2名であった。
このような在籍状態は戦後も続き、やっと47年になって、在籍者数は法学研究科4名、経済学研究科6名など合計15名に、また48年には文学研究科10名、法学研究科5名、経済学研究科9名の合計24名になった。

 旧制大学院を併置していた関西学院大学は、戦後の1949年になって、文学博士・法学博士・経済学博士・商学博士課程の設置を求める関西学院大学学位規程認可申請を行い、翌年3月に認可された。
この旧学位令による博士課程設置によって、博士学位授与者の第1号は、50年の経済学部教授池内信行であり、以降、60年までに、文学博士19名、法学博士14名、経済学博士16名、商学博士1名であった。
旧制関西学院大学および旧制関西学院大学大学院は60年3月31日付で廃止された。

【参照】Ⅰ 474;Ⅱ 149,153【文献】『学制百年史』1972