卓球部(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

卓球部

 1918年2月、高等学部(啓明寮チーム)が神戸の実業団を相手に同市内で卓球の試合をした記録が当時の「朝日新聞」に掲載されており、これを卓球部の前身としている。
23年、高知市立商業から岡定一が啓明寮入りしたころからメンバーも増え、25年、倶楽部創設。
26年、結成された関西学生卓球連盟主催の大会に優勝、本格的な態勢が整ったとして28年運動部に昇格し、海外留学から帰国した青木倫太郎教授を初代部長(当時顧問)に迎えた。
同年関西学生リーグ優勝、全国高専大会に倉橋長七が優勝して基盤を固めた。

 全国制覇は1938年の東西優勝校対校戦での初優勝から通算6度、全日本大学対校が40年から通算3度を数え、渡辺重五、藤井則和の全日本チャンピオンと崔根垣、藤井則和、川瀬浩の全日本学生優勝者をはじめ多くの名選手を輩出、戦前・戦後の黄金時代を築いた。
36年に始まった早稲田大学との定期戦は中断なく継続。
60年には女子部を創設した。
現在は男女とも関西学生リーグ2部に位置し、1部復帰を目指している。

【文献】『関西学院大学卓球部四十年史』1970;『関西学院大学卓球部六十年史』1990;『関西学院大学卓球部物語』(第1-2部)1993-1998