甲東村・甲東園(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

甲東村・甲東園

 甲山から上ケ原台地を下り武庫川右岸に広がる、北は仁川、南は上大市、下大市そして樋ノ口などの国道171号線付近を境界とする一帯は、1941年に西宮市に編入される前は武庫郡甲東村とされていた。
41年に西宮市に編入。
元来この地域は西宮から宝塚へと通じる街道にあたり、農業が営まれていた。
現在の上甲東園付近は明治中期より芝川家の経営による果樹園が広がっており、1899年、その果樹園を「甲東園」と称した。
1921年、阪神急行電鉄西宝線(現、阪急電鉄今津線)が敷設された。
芝川家は新駅誘致を図り、交換条件として周辺土地1万坪(約3万3,000㎡:現在の仁川学院南側から甲東園駅に至る今津線軌道東側、すなわち甲東園2丁目1番地2番地3番地の一部、4番地、5番地の一部、8番地、9番地、10番地、および1丁目5番地の一部、6番地の一部、7番地、10番地の一部、11番地)を阪急に寄付することなったことから、翌22年に甲東園前停車場とされた。
まもなく甲東園駅に名称が変更され、付近一帯は甲東園と呼ばれるようになった。
阪神急行電鉄今津線の開通以後、阪急は寄付地を含む一帯を分譲地として販売したことから、住宅地としての開発が急速に進んだ。
西宮七園に名を連ね、静かな住宅環境を守っている。

 関西学院が上ケ原に移転した1929年には、駅から阪神合同バスが学院をつないだ。
駅から関西学院までのバス道は七曲り坂となっている。
これは、移転当時は資材運搬用のトラックの馬力が弱く、40分の1以上の急こう配では登坂できなかったために、緩い勾配としたのである。
シボレー8人乗りバスで運賃はうどん一杯と同じ10銭であった。

 以後、上甲東園の兵庫県立西宮高等学校をはじめ、西宮市立甲陵中学校などの学校が設けられた。
さらに甲東園駅東には報徳学園や仁川学院がある。

【文献】赤西猶松『西宮市街図』1933;渡辺久雄『甲東村』1942;渡辺久雄『甲東村から』1993;芝川又四郎『小さな歩み』1969;『千島土地株式会社設立100周年記念史』2012