高等商業学校(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

高等商業学校

(1935-1944)

 専門学校令による高等学部商科は1921年に高等商業学部へ拡大し、32年の大学予科設立以降も人気が衰えず入学希望者が増えてきたが、34年の大学学部開設により、850名であった定員が最終的に300名に減少させられることになった。
そこで、学院経営基盤の安定化のためにも、35年4月から急遽、実業学校令による関西学院高等商業学校へ移行することになった。
専門学校と大学学部の定員は一括して決められているのに対し、実業教育を目指す実業学校令に基づく実業学校は、大学とは別枠で定員が認められていたためである。

 この結果、財団法人関西学院は法的にいえば、中学部と神学部・文学部の2学部を持つ専門学校と大学を擁する学校と、実業学校である高等商業学校の2つの学校を経営する母体となった。
高等商業学校の学生定員も600名を確保し、さらに1940年度からは750名に増やすことができた。
校長には高等商業学部長の神崎驥一が大学商経学部長兼任の形で引き続いて就任し、40年、C.J.L.ベーツ院長の帰国後、神崎驥一が院長に就任すると、鈴木吉満が校長に就任した。
戦時中、文科系高等教育機関の定員を3分の1に削減する方針が立てられ、44年4月から大学商経学部の募集を停止し、専門部文学部と高等商業学校を統合して専門学校政経科に改編するとともに、理工科を新設した。

【参照】Ⅰ 504,587