甲関戦(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

甲関戦

 正式名称は、「甲陽学院中学校・関西学院中学部交歓競技大会」。
1953年、新制中学部初代部長矢内正一と甲陽学院第5代校長で同窓の芥川潤の「阪神間の少年が、ともすると男の子らしい気力に乏しいという欠点があるのを少しでも除き、ファイトある少年を作りたい」との願いが一致し、「全校規模で交流を持ち親睦を図ると共に、他校に学び切磋琢磨し、スポーツ・クラブ活動を通じ、お互いを刺激材料として力を競う」ことを目的に、2校の間で全校挙げての定期戦を行うようになったのが始まりである。

 第1回大会は陸上・野球・サッカー・卓球の4種目で対戦が行われ、3勝1敗で関西学院が総合優勝した。
2年後の第3回大会にテニスが加わり、以後、第7回大会にバレーボール、第8回大会に水泳、第12回大会にバスケットボール、第40回大会に剣道が加わり、現在は9種目で勝敗が争われている。
2013年の第61回大会までは全校生徒がその年の当番校へ赴き、すべての競技を全校挙げて応援するという形をとっていたが、中学部が12年に男女共学化したため、14年からは試合会場を両校に分け、生徒の応援は自由参加という形で行っている。
13年第61回大会までの総合成績は、関西学院の41勝13敗7引き分け。

【文献】矢内正一『一隅の教育』1965