木村禎橘(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

木村禎橘

きむらていきつ

1885.1.27~1969.

木村禎橘

木村禎橘

1885年1月、宮城県気仙沼に生まれる。
1903年3月宮城県立第二中学校卒業。
同年9月東京高等商業学校入学。
在学中に海老名弾正より受洗。
高商の基督教青年会の学生リーダーとして活躍。
08年9月卒業。
同年11月から翌年10月市立甲府商業学校教諭。
09年11月より翌10年9月に私立大阪商業学校教諭。
10年同月東京高等商業学校専攻部商工経営科入学、11年5月退学。
12年3月に関西学院高等学部商科に教員として着任。
商科出身の教員は彼一人。
専用教室も専用図書もわずかな教育環境のなかで、一期生が次々と退学していく創設時の苦しい時代を実質的に支えた商科創設時の功労者。
ゼミを取り入れたカリキュラム改革から消費組合や学生会の設立支援など学生教育指導全般に貢献。
東京高商のネットワークを通じて、卒業生の三井物産等の一流貿易商社就職に尽力。
「地塩会」でゼミ卒業生も指導。
18年4月離任。
同月神戸海上運送火災保険入社、20年2月英国商工業視察を兼ねて、ロンドン駐在員として翌年9月まで在英。
4月ロンドン大学経済商業政治学部(LSE)入学。
21年7月退学。
21年9月退社。
10月神戸岡崎銀行入行。
24年5月同行退職。
7月会計学の大家、東[セキ]五郎から会計実務家として関西にて挺身するように勧められ、木村計理検査所を大阪に設立。
27年12月計理士登録(第34号)。

 第一次世界大戦後の不況で本来は赤字であるにかかわらず黒字を装って蛸配当を行う企業が続出し、わが国の企業経営力は大きな痛手を蒙った。
木村は謹厳なクリスチャンとして徹底した企業監査の実施を主張し、また、会計士と税理士の職務上の分離独立を政治的にも運動した。
1933年に検査計理士法提案。
税務計理士法提案。
日本商業教育協会理事長を歴任。
29年に呉羽紡績常任検査員。
戦後は52年に甲南大学の経済学部創設時に着任し、その後経営学部の会計監査および簿記学の担当教授として定年の65年3月まで務めた。

【参照】I 337-338,349,359【文献】『関西学院高等商業学部二十年史』1917;木村禎橘「高等学部小史」『商光』(4)1916;『仙台二高八十年のあゆみ』1980;平野由美子「昭和初期における計理士法改正運動―木村禎橘の運動を中心に」『立命館経営学』50(5)2012