関西学院通信『クレセント』(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

関西学院通信『クレセント』

関西学院通信『クレセント』

関西学院通信『クレセント』

『クレセント』は、「新しい人間性の回復と世界と共存するモラルの確立、関西学院の建学の精神であるキリスト教教育が、この日本民族の試練にこたえるべき時代」(創刊号巻頭言、久山康「『孤独の群集』を超えるもの」より)に、教職員と学生・生徒ばかりでなく、同窓・父母も対象として、新しい時代の要請に応えたいとの願いから1977年12月に創刊された。

 その2年前から父母への広報誌として『父母通信』が刊行されていたが、『クレセント』の発行人となった久山康理事長・院長の思いが、『父母通信』に代わるものとして『クレセント』を創刊させた。

 水谷昭夫文学部教授を編集長に、専従職員2名が企画調査室(後に企画部)で刊行業務に携わり、12年間に別冊2巻、入学記念号9巻を含む36巻(B5判、各巻150~200ページ)を発行した。

 関西学院後援会からの援助により、すべての関西学院大学生の保証人宛に郵送され、高中部の生徒にも配付された。
また、同窓生には購読キャンペーンを行い、最盛期には約500部の定期購読者を得たほか、大阪、神戸の大手書店にも販売を委託した。

 企画内容は広報・企画調査委員会で検討されたが、執筆者や登場人物は本学の同窓生や教職員にかぎらず、各界、各層から広く登用した。
カラーグラビアも豊富で、慶應義塾大学の『三田評論』、東海大学の『望星』に比肩する教育・教養誌として関係者の間で話題となった。

 関西学院創立100周年を目前に水谷編集長が死去し、また、発行人久山理事長・院長の退任などが重なり、1989年3月をもって『クレセント』は休刊した。
その後、タイトルを『関西学院通信』と変え、購読者への頒布は廃止、学院の広報誌としての役割に専念する企画内容に変更して92年までに広報室から6号を発行した。
次いで後継誌として、年4回発行の冊子『POPLAR』(ポプラ)を93年度に創刊したが、当初の『クレセント』と比べその編集内容は大きく変化した。
『POPLAR』はその後2010年度までの間に71号を刊行し、11年度からは在学生対象の広報紙『関学ジャーナル』と統合して冊子形態の『関西学院通信 関学ジャーナル』となっている。

【参照】Ⅱ 501