関西学院グリークラブ(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

関西学院グリークラブ

 1899年、吉岡美国院長夫人の妹、岡島まさ(政尾)の指導の下、関西学院に男声合唱の音が響いた。
翌1900年、吉岡院長に「関西学院グリークラブ」と名付けられ、ここに日本で初めての男声合唱団が誕生した。
その後、急激に日本が軍国主義化する中にあっても関西学院グリークラブは活動を続けて戦前戦後の激動の時代を生き抜き、伝統を守り抜いた。

 戦後間もなく、1946年に行われた第1回関西合唱コンクールでは大学男声の部で第1位に輝き、最優秀賞を獲得。
第3回関西合唱コンクールでは一般の部にて第1位で全国大会に出場し、全国優勝を果たす。
以後、全国大会において54年まで6年連続優勝招待演奏、63年まで3年連続優勝招待演奏と、57年の関西敗退以外はすべて全国優勝を成し遂げた。
64年に不参加を決めるまで、全国コンクールでは戦前の競演会3回を含めて実に18回の出場、2回の招待演奏という輝かしい実績を残す。

 近年では2006年よりコンクールへの出場を再開し、13年までの8年間で全国大会に7回出場して金賞を5回、部門最優秀賞を2回受賞している。

 国外における関西学院グリークラブの活動は1963年の台湾演奏旅行が最初で、65年にはアメリカ(ニューヨークリンカーンセンター)で行われた第1回世界大学合唱祭に出場して国際的な評価を得た。
以後も積極的に海外へ演奏旅行に出かけ、世界中の合唱団と交換演奏会を行っているほか、パリのノートルダム寺院、ケルン大聖堂、ウィーン楽友協会大ホールなどでも演奏を行った。
特にドイツのベッチンゲン村とは古くから交流を深めているほか、19年よりクロアチアの国民的オペラの中の1曲“U Boj!”を歌い続けてきたことから、同国との関係も深い。
65年、兵庫県文化賞および西宮市文化功労賞を受賞。

 OB会として新月会が1934年に結成され、グリークラブの活動をさまざまな面で支援するとともに、合唱団としても活発に活動している。
著名なOBに、音楽家の山田耕筰、林雄一郎、北村協一が挙げられる。
また、宮内義彦、宮原明、村上一平をはじめ、経済界にも多くの人材を輩出している。
1999年には創部100周年を迎え、東京オペラシティコンサートホール、フェスティバルホールでOBも参加して記念リサイタルが行われた。

 2014年現在、100名を超える部員が所属し、東西四大学合唱演奏会、関西学院グリークラブフェスティバル、関西学院グリークラブリサイタルなどの演奏会を中心に年間を通じて全国各地で精力的な活動を続けている。

【文献】『関西学院グリークラブ八十年史』1981