学長代行提案(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

学長代行提案

学長代行提案

学長代行提案

関西学院大学における学生紛争が頂点に達した1969年3月19日、小寺武四郎経済学部教授が学長代行に就任した。
大学正常化に取り組んできた大学執行部は同日アンケート「廃校か否か―(その一)」を全学生および教職員に発送した。
このアンケートは、大衆団交、全共闘派学生によるバリケード封鎖、六項目要求、学生自治などについての質問項目を掲げ、関西学院大学を廃校に向かわせている現状を問うもので、大学改革に向けて何よりも一般学生の意見を聞くことから始めるという意図から出たものであった。
4月、アンケート(その一)の最終結果がまとまった。
全学生数約1万3,000余名中、回収総数は6,825名であった。
廃校への道を望むものはわずか92名、また改革の手段としての全共闘派学生のバリケード封鎖に反対する回答が全体の94%にも達した。
またこのアンケート(その一)により、関西学院大学には改革すべき多くの点があることも示唆された。

 その後1969年5月に兵庫県民会館で教職員集会が開催された。
約460名が参集したこの集会で、小寺学長代行から「関西学院大学改革に関する学長代行提案」(以下「学長代行提案」)の提示と説明があり、了承された。
「学長代行提案」は5万字を超える長文であり、その内容は私学の置かれている苦悩から始まり、関西学院大学における大学理念、教育の改革と問題点、研究体制改革の展望、大学における意思決定と管理、法人組織における意思決定と経営、職員の役割と事務の合理化、学生の自治と参加、学生の諸要求に対する大学当局の見解、改革に当たって各層・各界への要望、改革の実現に向かっての具体的展開に及んでおり、当時、日本の大学改革方策のモデルとして高く評価された。
「学長代行提案」は全学生に郵送され、改革のための徹底的な討論が呼びかけられた。
こうした準備期間の後、6月に関西学院発祥の地、神戸の王子公園陸上競技場で開催された改革結集集会では「学長代行提案」が示した改革の方向が圧倒的多数の支持を受け、紛争の終結と大学改革の歩みが始められることとなった。

【参照】Ⅱ 365-385