学生会館(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

学生会館

学生会館 旧館

学生会館 旧館

【沿革】 
 神戸の原田の森キャンパスで高等学部学生会が発足し、1917年に、在校生、卒業生等の寄付によって学生活動の拠点として2階建てのささやかな学生会館が建設され、10月に開館した。
上ケ原移転直後の1929年5月、新キャンパスの学生会館が完成した。
しかしその後の戦争のさなか、学生会館を海軍予備学生の教育の場として借用したいとの申し出が海軍省からあり、44年2月、他の13棟の校舎・建物と3万坪(約9万9,000㎡)の敷地とともに三重海軍航空隊西宮分遣隊に貸与された。

 1948年の新制大学発足後、学生が増え、学生食堂やクラブの部室拡充の要望が出され、58年6月の学生総会は新しい学生会館の建設と、建設費の半額4,000万円を学生が負担することを決議した。
これを受けて学院理事会は創立70周年事業の一つに学生会館の建設を加え、翌59年11月に学生会館(旧館)が落成した。

 その後、学費値上げ反対運動に始まる1968年からの大学紛争では、学院側に出された「六項目要求」の一つに学生会館の学生自主管理があった。
78年6月、通称「銀座通り」に面していた上ケ原キャンパス最初の学生会館(当時第二学生会館と呼ばれていた)が1階食堂からの出火で焼失。
同年11月に大学が公表した「学生施設整備充実計画第1次案」に現在の新学生会館の基本構想が盛り込まれ、新学生会館は84年7月に竣工開館した。

【学生会館旧館】 
 木造バラックの相撲部やレスリング部、拳法部などの練習場を取り壊して建設され、鉄筋コンクリート造りで、機能性を重視した建築デザインは当時としてはまったく新しいものであった。
地上3階の建物は広々とした食堂やホール、ロビー等も有するもので、当時の学生教職員の目を見張らせるものだった。
体育館と連絡する廊下も設置され、廊下西側中庭にはステージも作られた(新館建設に伴い、この廊下とステージは撤去された)。
3、4階には体育会や文化総部、その傘下のクラブ(29室)が入居し、現在も課外活動や交流など学生の活動拠点として中心的な役割を果たしている。
建築様式は、モダニズムの傾向に沿ったものとなっている。

 1959年11月竣工、鉄筋コンクリート造り陸屋根5階建て、延べ床面積3,425.86㎡、設計はヴォーリズ建築事務所、施工は竹中工務店。

学生会館 新館

学生会館 新館

【学生会館新館】 
 旧館建設から25年が経過した1984年、「学生施設整備充実計画」の最重要プロジェクトとして建設された。
学内に散在していたクラブ部室棟を収容し、相撲や柔道その他の道場も設置された。
体育会系のみならず文化総部系団体の利用のためにも充実が計られ、放送部スタジオをはじめ、謡曲その他の練習室も完備されている。
関西学院大学生協本部、書籍部などの物販店、食堂、業者経営のレストランなども設けられている。
また、地下2階にはソーラーシステムによる温水プールが設置された。

 建築は市道を挟んで北面に展開するA・B・C号館と調和した設計となっている。
巨大な新館は完全なロの字型(クオドラングル形式)となっており、上下2段からなる大きな中庭を有している。
中庭の上段から下段には滝組がなされており、憩いと涼感が得られる絶好の場を提供している。
新館の東面は旧館、体育館と中庭を共有し、各クラブの野外練習やバザーその他多方面で活用されている。
この空間は学生活動の"コア"と位置づけられ、学院の美しい景観と文化的雰囲気を醸成する重要な要素となっており、学生たちはここを"プラザ"と呼んでいる。

 1984年6月竣工、鉄筋コンクリート造り陸屋根地下2階付き5階建て、延べ床面積21,388.67㎡、設計は日本設計、施工は竹中工務店・大林組・熊谷組共同企業体ほか。

【参照】Ⅰ 362,598-600;Ⅱ 78-79,273-275,347-353,535-538