中村賢二郎(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

中村賢二郎

なかむらけんじろう

1881.4.5~1969.8.18

中村賢二郎

中村賢二郎

理事、初代総務部長。
山口県佐波郡防府町に生まれる。
関西学院草創期の1897年、普通学部に入学、4年間学んだ後、日露戦争に従軍。
普通学部の認定・指定や専門学校開設の時期に当たる1906年、吉岡美国院長により普通学部教練(体操)教諭兼自修寮専任舎監として招聘された。
「情熱的愛校者」と呼ばれ、11年に学院を去るまで、短期間ではあるが認定・指定問題や生徒指導、クラブ活動や同窓会活動の活性化などに力を尽くした。
アメリカに留学、W.R.ランバスの母校エモリー・ヘンリー・カレッジ、テネシー州のヴァンダビルト大学大学院などで学び、17年に帰国。
宮崎中学校、小樽高等商業学校、高松高等商業学校に勤め、関西学院では大学予科開設の折に予科長候補になったこともある。
38年、関西学院理事に推薦され経営に参画。
学院経営が困難な戦時下で、44年の機構改革で設けられた初代総務部長に就任、47年の定年退職まで務め、その後理事として50年まで在任した。
また、短期大学商科・英文科、新制大学商学部、神戸外国語大学、武庫川女子大学で商業英語を中心として教授した。

【参照】Ⅰ 181,200,478【文献】中村賢二郎『英語と共に五十余年』1953