日本基督教団(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

日本基督教団

 1941年に、主として日本におけるキリスト教プロテスタント諸教派の合同教会として日本基督教団が成立した。
その決定的要因となったのは、39年に成立し、翌年より施行された宗教団体法である。
これは宗教団体を国家管理のもとに置き、統制しようとするものであった。
もっとも、諸教派が一つとなって構成する合同教会は、20世紀初頭において本格的に始動したエキュメニカル運動の一つの重要な成果でもあった。
その先駆的モデルは、10年以降関西学院の共同経営に参加してきたカナダ・メソヂスト教会が、20年間の協議の末、25年に長老教会や組合教会とともにカナダ合同教会を結成した中に見いだすことができる。
日本基督教団の成立の背景には世界の教会合同運動があり、30年代には日本キリスト教連盟の合同運動が大きな広がりを見せた。
しかし、その合同運動は各教派間の合同理解の違いから暗礁に乗り上げていた。
したがって、長年の合同協議によっていわば下から成立したカナダ合同教会とは逆に、日本基督教団は国家の要請による上から成立した合同教会と言える。

 日本基督教団の成立と関西学院の関係については、まず日本基督教団のミッションからの独立という方針が、戦時体制の状況と相まって、C.J.L.ベーツ院長をはじめとする宣教師に本国への帰国を強いたことがあげられる。
また、日本基督教団の中に教師養成機関として組み込まれた神学部は、やがて閉鎖を余儀なくされ、43年に日本西部神学校に、そして44年には日本基督教神学専門学校に統合される運命をたどった。

 戦後、関西学院は日本基督教団との関係において、まず内外協力会(CoC)を通して宣教師の受け入れ体制を再建し、さらに1952年に神学部が再興されるとともに日本基督教団認可の教師養成機関として新たな出発をしている。

【参照】Ⅰ 569;Ⅱ 328