バスケットボール部(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

バスケットボール部

 1891年、アメリカでN.スミス博士によって創案されたバスケットボールを日本に導入した一人に、関学OB・宮田守衛(元院長・宮田満雄の父)がいた。
宮田は、1912年、この競技を紹介した。
1922年に関学・体育主事として赴任したA.C.ブラッドレーから手ほどきを受け、テニス、サッカー、陸上競技部員の寄せ集めでバスケットボール部の創部となった。
第2回全関西選手権大会3位、第5回に優勝した記録がある。

 1926年、運動部(現、体育会)に正式加入を認められた。
12月には関西学生籠球連盟を結成し、第1回の早稲田大学との定期戦が早稲田大コートで行われた。
この定期戦は現在も引き継がれている。

 1940年、第11回明治神宮国民体育大会兵庫県予選で優勝、本大会には現役・OBとの混成チーム関学倶楽部として優勝し、初の全国制覇を成し遂げている。

 この間、多くの名選手を輩出したが、中でも不世出の名コーチといわれた椋本清は、在学中にコーチと主将を兼任。
波部久太郎、大久保修造は、日本代表選手として選抜され、国際大会などで活躍した。
第15回早稲田大学との定期戦で初めて早稲田大学に勝利し、以後第17回まで3連覇している。
特に1951年から60年までの10年間は、関西リーグで5回の優勝、西日本学生選手権大会では4連覇を含む6回の優勝を遂げており、関学バスケットボール部の戦後の黄金時代と言われている。
54年には、石塚一郎監督の下、早稲田大との定期戦に勝ち、第1回近畿総合選手権大会で実業団の雄、松下電器(現、パナソニック)を破り優勝。
全日本総合では、5位となった。
80年以降、リーグ戦において2部降格など、長らく低迷期が続いたが、99年には38年ぶりに西日本学生選手権を制覇し、古豪復活との賞賛を得た。
95年からは、新たに女子部も発足し、2012年には兵庫県総合選手権で男女アベック優勝を果たした。

【文献】『先賢の跫音:兵庫県バスケットボール協会50年史』1985;『CRESCENT60―関西学院大学体育会バスケットボール部60年史』1987