フィランデル・スミス・メソヂスト一致神学校(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

フィランデル・スミス・メソヂスト一致神学校

 関西学院神学部の前身である連合神学教育機関。
学院の創立母体であるアメリカ・南メソヂスト監督教会のジャパン・ミッション開始(1886)以前から、既にメソヂスト監督教会とカナダ・メソヂスト教会の日本伝道が先行し、それぞれ伝道者養成機関を擁していた。
すなわちメソヂスト監督教会は1879年に美曾神学校(The Methodist Mission Seminary)を横浜に設立、ミッション本部移転に伴い、82年に築地居留地に設置されていた耕教学舎と合併し、東京府赤坂区青山に移転、東京英学校(現、青山学院)と改称した。
他方、カナダ・メソヂスト教会も77年、築地居留地で神学教育を開始し、85年に麻布鳥居坂の東洋英学校と合流して東洋英和学校神学部と名乗った。
この2教会の神学教育機関が連合して、86年、フィランデル・スミス・メソヂスト一致神学校(Union Methodist Theological School、別名Philander Smith Biblical Institute)を東京青山に設置し、南メソヂスト監督教会にもこの連合への参加が公式に要請された。

 翌1887年9月、南メソヂスト監督教会日本年会においてこの件を本国伝道局に照会することが決議され、その直後、同伝道局は東京の一致神学校に教授1名を派遣することを承認。
88年4月のミッション四季会でJ.C.C.ニュートンの東京への派遣を決定し、ニュートンは同年5月21日に着任した。
またニュートンとO.A.デュークスは一致神学校の「規程」検討委員に任命されたが、関西学院創立の89年9月開催の年会において、ニュートンは東京での1年間の働きを報告し、南メソヂスト監督教会所属の諸教会から送られていた学生7名とともに、神戸の東郊原田に開設された関西学院神学部に移籍した。
したがって神学部の歴史は厳密には学院創立の1年前にさかのぼることになる。

【参照】Ⅰ 62,101,145