普通学部(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

普通学部

(1889-1915)

普通学部

普通学部

 1889年の関西学院創立時に設置された学部の一つで、初代普通学部長はN.W.アトレー。
入学資格は満14歳以上の高等小学校卒業の男子で、予科2年本科4年の課程であった。
これは、当時の中学校令による尋常中学校(5年制)とは入学年齢、修学年限の異なる体制で、英文でAcademic Departmentと記された。
アメリカでベンジャミン・フランクリンの提案した中等教育機関の例にならうものであり、実用的な知識や技能を教える小規模な私立学校とされている。
関西学院の規則では「高等ノ学校ニ入ラント」するものへの教育を目指すことが第一に示され、さらに定員も500名規模で構想されていた。
しかし実際には初年度の入学生は予科・本科を合わせて29名であり、その大半はアメリカ・南メソヂスト監督教会伝道地域からの出身者であった。

 当初の教科としては、ほぼ中学校令に従うものであったが、1890年以後「主トシテ英語ヲ以テ英文ノ講読」が加えられ、英語学校としての性格をもつものとなった。
さらに93年の2度目の学則改正において高等部普通科(College Course)が設けられたが、生徒が集まらずすぐに廃止された。
それは学院がなお本格的な教育機関としての認定を受けず、上級課程への進学が困難であったことによる。

 その後も繰り返し学則改正、組織変更などが行われ、1902年には英語本科(3年制)が設けられ、徐々に学校としての組織も整備され在学生数も増加していった。
その中で文部省訓令第12号による認定の問題への対応を図り、普通学部も公立中学校の課程に則ったものに改め、08年10月16日に「本院普通科」は「中学校ト同等以上」の資格を得られることを申請し、09年2月10日に文部大臣より認定を得た。
こうして普通科はカリキュラム上は中学校令の基準に従いつつ、英語においては基準以上の時間をかけ、また1年生から5年生までのすべての課程に聖書を配当することによって独自色を発揮した。
学生数は400名を超え、13年には専用校舎が完成、14年には生徒定員を700名とする申請を文部大臣あてに提出し、翌年認可された。
なお、13年に吉岡美国院長が「普通科」を「中学部」と名称変更することを理事会に提案し、15年2月に文部大臣によって普通学部という名称の使用は停止された。

【参照】Ⅰ 155【文献】『関西学院史紀要』(4)1994