文学部(専門学校 1912-1950)(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

文学部(専門学校 1912-1950)

(専門学校 1912-1950)

文学部校舎(原田の森キャンパス、1922)

文学部校舎(原田の森キャンパス、1922)

 関西学院において大学以外の組織としての「文学部」の名称は、1912年開設の高等学部文科(英文学科、哲学科、社会学科)および21年開設の文学部、大学開設以後高等学部の後継組織として32年以後存立した専門部文学部(35年哲学科廃止、英文科、社会科)、戦後の専門学校としての文学専門部(英文科、人文科)がある。
その一つとして、戦時下にあった関西学院専門学校は、戦後の混乱期の中で戦前の教育組織復興の声の高まりを受けて46年に高等商業学部と文学専門部として復活された。

 その際、学科構成として伝統的な英文科に加えて、社会事業およびマスコミなどにおける公民啓発事業に携わる人材の養成を目指し人文科が設けられた。
ただし同時に発足した新制大学の存在の意味が種々検討された結果、新入生募集は1946、47年の2年間で停止され、学生の大部分は新制大学に移り、残存の学生のみで授業が行われた。
学院としては神崎驥一院長のジュニア・カレッジ構想を受けてその組織を短期大学に移行することとし、50年に専門学校としての文学専門部は廃止された。
2年間の卒業生は英文科33名、人文科17名であった。

【参照】Ⅰ 319