奉安庫(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

奉安庫

 1890年10月30日発布された明治天皇の勅語「教育ニ関スル勅語」と御真影とを不敬にあたらないように保管し、火災から守るために校内に奉安庫もしくは奉安殿として、その設置が1891年11月文部省訓令第4号によって求められた。
関西学院へは1890年10月30日に2通の「教育勅語」が交付された。

 高等教育機関への御真影の下付は、帝国大学などへは1928年10月に一斉に下付されたが、下付は申請によるとされていたため、キリスト教系私立学校の中には消極的姿勢をとった学校もあった。
文部省は指導を強め35年には同志社大学へ、36年には立教大学に下付された。

 1936年、文部科学省から御真影奉戴に関して出張命令があり、C.J.L.ベーツ院長らが出頭し、翌年上智大学らとともに下付されることとなった。
その時点で、関西学院には奉安殿・奉安庫がなかったため、院長室内に奉安庫を設置し、37年2月に御真影が下付された。
その模様は「全校教職員学生生徒門前ニ堵列奉迎シ十二時十分奉安所ニ奉安シタ」と書かれている。
「御真影奉護規程」にもとづき、教職員が宿直・日直を志し、元旦、紀元節、天長節、明治節の式典で御真影の奉拝と教育勅語の奉読が行われた。
独特の抑揚をつけて行われる奉読は吉岡美国院長・名誉院長が担うことが多かった。
これらの記録は、『奉護日誌』に記録された。

 1946年10月、文部事務次官通牒「勅語及び紹書等の取扱について」により、教育勅語の奉読の廃止、勅語・詔書の謄本などの神格化廃止の通達を行い、関西学院の奉安庫もまた金庫として用いられることとなった。
そのため、現在も奉安庫の形式を保ったまま旧院長室に保存されている。

 関西学院の奉安庫は、御真影の背が東に向くようにつくられていたが、それは、教職員・学生・生徒が時計台を背に東を向いて奉安庫内の御真影を遥拝することで、宮城遥拝をも兼ねるためであった。

【参照】Ⅰ 545-49;Ⅱ 23-24【文献】井上琢智「学院史編纂室の取り組について」『学院史編纂室便り』(31)2010.5;同「奉安庫―その後―」(32)2010.12