報国団・報国隊(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

報国団・報国隊

 1940年9月、文部省指令要綱により、41年2月、関西学院学生会は関西学院報国団に改組された。
これは学生の自治組織としての学生会を廃止し、皇国民練成のための学生修練組織とすることを目的としたものであった。
それまで、学院の学生会は会長以下役員は学生の選挙によって選ばれ、会の運営は学生の自治にゆだねられていた。
しかし、学生会は報国団となり、院長が団長になり、副団長以下部長、科長、班長などにはすべて教職員が任命された。
学生の役職は幹事長と幹事とされ、組織も総務部、鍛錬部、国防部、文化部、厚生部が改組、設置された。
そして馬術、自動車、銃剣術、無線電信、射撃、飛行・滑空など戦技に属する部門が強化された。
各学部にあった学会も解消し、学錬部となった。

 さらに、1941年8月には学校報国隊組織に関する訓令第27号が文部大臣により発せられ、報国団の中に「指揮系統ノ確立セル全校編隊ノ組織」としての報国隊を編成することになった。
以後、勤労作業などは報国隊の名のもとに活動することになった。
43年6月には「学徒戦時動員体制確立要綱」が閣議決定され、学校報国団の隊組織を国土防衛に動員しうるように強化すること、勤労動員の強化によって食糧増産、国防施設建設、緊急物資生産、輸送力増強を図ることが規定された。
こうして学生の自治組織は戦時体制の強化の中で勤労動員のための組織となった。
45年8月の終戦により11月に報国団は解散し、学生会が再結成された。

【参照】Ⅰ 605-610