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関西学院事典(増補改訂版)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]

法人合併(聖和大学)

 学校法人聖和大学と学校法人関西学院の合併は、その前史的なものとして1941年のランバス女学院(メソヂスト)と神戸女子神学校(会衆派)の合併による聖和女子学院開設があり、その際、将来的な可能性の一つとされるなど、長く伏流として話題にされてきた。
しかしそれが実際に具体化されたのは2005年9月、聖和大学から関西学院への申し入れがあったことから動きが始まった。
その申し入れを受けて関西学院理事会はその可能性の検討を行った。

 関西学院の当時の状況としては、21世紀における関西学院のあり方について、すでに山内一郎理事長のもと理事会として「幹の太い総合学園」構想が提唱され、初等部の設置計画が推進されるなか、将来的に関西学院においても自前の初等部教員養成が提案され、関西学院大学に教育学部設置の可能性が模索されるという状況にあった。
そのタイミングのなかでの聖和大学との合併提案は、聖和大学における幼稚園教諭・保育士養成の伝統を踏まえ、関西学院大学文学部における教育学研究教育の実績を合わせた初等教育課程(小学校教員養成)を含めた教育学部設置への道を拓くものとして前向きに検討されることとなった。

 これを受けて2006年1月に山内理事長が山村慧聖和大学学長とともに記者会見を行い、合併を公式に表明したが、これは日本における4年制大学としては初の合併として大いに注目された。
その後両法人間での話し合いを踏まえ06年11月に「学校法人関西学院と学校法人聖和大学の合併に関する包括協定」を締結した。
この協定において合併後の存続法人を関西学院とし、「聖和大学教育学部を、幼児・初等教育学科及び臨床教育学科の構想を含めて関西学院大学教育学部に改編」、「聖和大学短期大学部および聖和大学付属幼稚園は、法人合併後、学校法人関西学院が設置する短期大学および幼稚園として、存続させる」ことが合意された。

 学校法人関西学院と学校法人聖和大学は、2007年3月に「関西学院西宮聖和キャンパス」「関西学院大学教育学部」「聖和短期大学」「聖和幼稚園」の設置を骨子とする法人合併協定書が締結され、12月合併契約書を締結。
08年5月合併認可を申請し、同年12月文部科学大臣により法人合併が認可された。
これによって、2009年4月より関西学院は幼稚園、短期大学を含めた総合学園としての新たな歩みを開始した。

【文献】「K.G.TODAY」(237,242)2006.2.28,2007.4.27
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