法文学部(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

法文学部

 上ケ原移転後開設された関西学院大学(旧制)において法文学部は商経学部と同時に設立された。
1931年10月に文部省に提出された申請によると、法文学部は定員240名、哲学科、倫理学科、心理学科、宗教学科、社会学科、英文学科、法律および政治学科の7学科を擁し、関西学院大学予科から甲類修了者を迎えたほか、他の高等学校、専門学校、大学予科からも入学試験によって入学者の選抜を行った。
翌年の大学設置の認可後、34年に大学の学部教育が開始されたが、その際に申請時の7学科制をより現実的に改編し、文学科(哲学・倫理学・心理学・宗教学・社会学・英文学の6専攻)および法学科(法律学・政治学の2専攻)の2学科制とした。
教員組織としては学部長にH.F.ウッズウォースが就任し、最初期の教員名簿によると教授7名、助教授3名、講師にはC.J.L.ベーツほか16名、助手1名となっている。
開設時には予科からの67名を含め101名が入学し、うち70名が法学科希望であった。
その後、学部完成年度までに教師陣がさらに充実され、37年に文学士25名、法学士63名、計88名の第1回卒業生を送り出した。
42年には文学関係専攻科として国文学科が開設されている。

 しかし、戦時体制の強化に伴い、繰り上げ卒業が実施されたほか、文科系学生の徴集猶予の特典が停止され、学徒出陣が実施された。
ただし、法文学部の学生募集は継続され、実質的には商経学部学生の教育を委託される形となった。
しかし、その後も学院にとどまった学生には勤労動員が課され、もはや教育・研究活動は完全に停止された。

 戦後、理事会はその後の教育正常化のための方策を検討し、1946年に法文学部を文学部・法学部の2学部とすることを決定し、文部省に認可されたが、新制大学制度の発足により48年に旧制大学は学生募集を停止し、60年3月末まで学位授与などの関係から制度的には存続したものの、実質的には旧制大学は新制大学発足とともにその存在を停止した。

【参照】Ⅰ 486,490;Ⅱ 128