ボート部(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

ボート部

 ボート部のルーツは1894年創部の端艇部までさかのぼる。
活動の中心は原田の森キャンパスの真南にある美しい浜である敏馬浦であった。
暴風被害による艇損傷などにより19年一旦廃部となるが、戦後47年活動再開。
翌48年、漕艇部として運動総部に復帰した。
草創期の48、49年に関西選手権シェルフォアで優勝。
61年に全日本選手権エイトで3位入賞の快挙を果たす。
その間、51年には全日本選手権でケンブリッジ大学と、59年には関西選抜レガッタでオックスフォード大学と対戦。
東京オリンピック予選に出場するなど、関西の雄としての地歩を築く。
その後、73年と76年に朝日レガッタのエイトで優勝するが、関西および全日本選手権では幾度となく準決勝、決勝へと駒を進めるも、優勝からは遠ざかっている。

2001年、初の女子選手が誕生。
03年朝日レガッタのシングルスカルで準優勝、全日本選手権では6位入賞を果たし、女子選手の礎が築かれた。
練習拠点は、1969年の淀川艇庫焼失以来、桜宮大川、琵琶湖瀬田川などを転々としてきたが、94年、神崎川に待望の艇庫(関学、関大、甲南の3大学共用)が完成。
ボート競技の花形であるエイトでの選手権優勝を目指して日夜練習に励んでいる。

【文献】『創部100年の歩み:復活50年を記念して』1998