北摂土地問題(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

北摂土地問題

 大学設置基準による校地不足を指摘されていた関西学院は、将来の学院発展の基盤をつくることを視野に入れ、1978年以来新校地取得計画を検討してきた。
それが具体化したのが久山康理事長・院長時代の84年で、理事会は翌85年に、北摂の三田市に兵庫県が造成していた神戸・三田国際公園都市西地区(現、カルチャータウン)約20万坪(約66万㎡)の購入を提案した。
しかし、この土地の使用目的として大学の新学部設置を示唆したことから、大学を無視した提案であるとして大学評議会は反対を決議。
同年7月の理事会における購入決定に抗議して城崎進学長は辞任し、後任として選出された武田建学長も反対の姿勢をとり続け、ここに理事会と大学の対立が一気に表面化した。
その後、おもに法人評議員会を舞台に、問題は法人組織の検討から学内の深刻な対立にまで発展し、理事会は88年11月に理事長・院長の兼任廃止を決定すると同時に、久山康理事長・院長と武田建学長は100周年を前に学内融和と発展を期して88年度末に同時退任することを表明した。
その結果、89年3月、同時退任を前にした法人評議員会で北摂土地の購入が承認された。

 新しく選任された柘植一雄学長は精力的に北摂土地の利用について検討、1991年1月、校地問題検討特別委員会を設置し、調査・検討の結果、大学評議会の従来の方針であった「上ケ原一拠点主義」を断念、同年3月、北摂土地利用を次善の策とし、近い将来文系と理系の各1学部を設置する方向が大学評議会で承認された。
ここに95年の総合政策学部の開設、2001年の理学部移転・拡充の道が開かれた。

【参照】Ⅱ 503,565【文献】『関西学院理工学部50年のあゆみ』2012