堀経夫(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

堀経夫

ほりつねお

1896.4.20~1981.9.18

堀経夫

堀経夫

学長、経済学部教授。
北海道に生まれる。
広島師範学校教授・御影高等師範学校校長を経て、1927年、関西学院高等商業学部の財政学講師を務めた堀卓次郎の長男。
第三高等学校在学中、京都の吉田教会で受洗。
京都帝国大学在学中、河上肇の影響で経済学史への関心を深め、大学院へ進学。
22年、東北帝国大学法文学部助教授に就任。
23~25年、イギリスを中心に留学。
29年、経済学博士。
32年、大阪商科大学教授。
34年、新設の関西学院大学商経学部および法文学部講師となり経済原論を担当。
36年には商経学部教授を兼任。
42年、大阪商科大学予科長。
48年、大阪商科大学退職、新制関西学院大学経済学部教授。
54年、経済学部長、55年、関西学院大学学長を歴任。
66年、定年退職。
同年四国学院学長、69年に芦屋大学教授。
73年、「経済学の父アダム・スミス」を御進講。

 1930年発足の社会経済史学会会員、34年発足の日本経済学会会員、49年発足の理論経済学会会員など多くの学会の創立メンバーとなる。
58年から10年間にわたり経済史学会代表幹事。
66年、日本学士院会員。

 業績は『リカアドウの価値論及び其の批判史』(1929)に代表されるリカードウ研究、『増訂版明治経済思想史』(1991)に代表される明治経済学史研究に特に顕著であった。
その研究は「原典主義」にもとづき、理論的接近と「自由と平等」をテーマとする社会思想史接近を加味し、バランスのとれたものであった。
堀の生前および没後、蔵書の一部が関西学院大学図書館に寄贈され、堀文庫の基礎となった。
また、手帳、遺稿などが関西学院史編纂室に寄贈されている。

 弟健夫は、1923年に京都帝国大学卒業後、旅順工科大学教授、北海道帝国大学教授を経て、戦後は低温科学研究所の所長を務め、分光学の実験的研究を行った。
1962年、草創期の関西学院大学理学部教授に就任。
創世期の理学部の発展に寄与した。

【参照】Ⅰ 488;Ⅱ 136,141【文献】『経済学論究』20(3)1966;堀経夫博士喜寿記念事業委員会編『経済学の研究と教育の五十年』1973;久保芳和『堀先生と私』1973;『関西学院大学理学部20年史』1981;田中敏弘『堀経夫博士とその経済学史研究』1991;杉山滋郎『北の科学者群像』2005