大阪暁明館(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

大阪暁明館

 大阪暁明館は、大きく変動する大正期の大阪市此花区四貫島において、1915年広岡菊松によって創設された労働者宿泊施設であった。
広岡の死後、経営は当時の関西学院の学生であった息子の信貴知に受け継がれたが、世界大恐慌により事業が行き詰まり、信貴知は恩師である神崎驥一を訪問、母校関西学院に暁明館の将来を委託することになった。
実際には、学生と教師によって構成される学院の社会奉仕会が事業を継承することになり、31年に「関西学院セッツルメント大阪暁明館」が成立した。
関西の大学では先駆的なセッツルメントであった。
この時、社会奉仕会がこの事業を“Mastery for Service”を具体化した一つの姿と捉えていた点は注目すべきである。

 その後、高見新館の建設により診療施設も設けられ、医療保護事業、宿泊経済保護事業、隣保事業の3つを柱として事業内容も大きく展開している。
この事業の担い手が、関西学院の学生と教師に留まらず、ランバス女学院や神戸女子神学校などの協力を得るという広がりをもっていたことも重要である。
しかし、第2次世界大戦が始まり戦局が険しくなるにつれて事業も一時休止あるいは閉鎖を強いられ、戦後の1947年以降、大阪暁明館病院として新しい出発をすることになり、その歴史に終止符が打たれた。

【参照】Ⅰ 399【文献】「関西学院新聞」1931.5.20